「何を聞いているかに注意しなさい。あなたがたは自分の量る秤で量り与えられ、更にたくさん与えられる。」(マルコによる福音書424

 主イエスは「神の国は近づいた」という現実を「種を蒔く人の譬え」で語られた後、更に二つの譬えで語られた。一つは、「ともし火の譬え」である。「ともし火を持って来るのは、升の下や寝台の下に置くためだろうか。燭台の上に置くためではないか。隠れているもので、あらわにならないものはなく、秘められたもので、公にならないものはない。」主イエスが来られたことで神の国が始まったという福音の「ともし火」は灯されたのであるが、人々はそれを升の下や寝台の下に置いてしまっている。しかし、「ともし火」が消えてしまったわけではない。やがて、主イエスの十字架と復活によって、それは露わになった。イエス・キリストの光は、隠されて消えてしまうものではないのだ。
 続けて、標記のような二つ目の譬えを語られた。「何を聞いているかに注意しなさい」と言われる。主イエスは「神の国は近づいた」と言われた。それは<主イエスが来られた>ということに他ならない。そのことをどう聞き、どう受け止めるかが問われる。「あなたがたは自分の量る秤で量り与えられる」と言われる。私たちは、自分の秤に合うものだけを受け入れ、自分の秤に合わないもの、自分に都合の悪いものは受け取ろうとしない。主イエスは「山上の説教」の中で、「人を裁くな。あなたがたも裁かれないようにするためである。あなたがたは自分の裁く裁きで裁かれ、自分の量る秤で量り与えられる」(マタイ712)と言われた。自分の秤で量ることによって、同じ秤で裁かれる、との厳しい警告である。しかし、「自分の量る秤」が狂っていることに気づく、即ち、自分の罪を悔い改めて、神から与えられる秤で量るなら、溢れるばかりの恵みを受けることができるのである。
 「聞く耳のある者は聞きなさい」と言われる。主イエスは、御言葉をもって私たちの罪深い現実を指摘されるだけでなく、私たちの秤を取り替えて、神の国の現実が実を結ぶようにしてくださるのである。

主日礼拝説教<要 旨> 2014年9月21日  山本 清牧師 

 聖  書:マルコによる福音書4:21-25 
 説教題:「
ともし火は燭台に」 説教リストに戻る