この計画(神の秘められた計画)は、キリスト以前の時代には人の子らに知らされていませんでしたが、今や“霊”によって、キリストの聖なる使徒たちや預言者たちに啓示されました。すなわち、異邦人が福音によってキリスト・イエスにおいて、約束されたものをわたしたちと一緒に受け継ぐ者、同じ体に属する者、同じ約束にあずかる者となるということです。(エフェソ356 

 パウロは標記のように、<異邦人も神の約束を受け継ぐ者になる>という「神の秘められた計画」が、聖霊によって、使徒と預言者たちに啓示されたと語る。そのことから、その神の計画を全世界に伝えるという大きな課題が生まれたので、「神は、その力を働かせてわたしに恵みを賜わり、この福音に仕える者としてくださいました(7)と言う。ここでパウロが強調しているのは、「神は、その力を働かせて」ということである。パウロが命をかけてキリストの福音を宣べ伝えようとするのは、彼が自分の過ちに気づいたとか、思想を深めて新しい真理を発見したとか、一大決心をしたということではなくて、「聖なる者(キリスト者)たちすべての中で最もつまらない者であるわたしに与えられた(8)からだと言う。
 神が異邦人である私たちにも、「秘められた計画」を開かれたということは、私たちの過去の経歴や育ちや能力や努力によるのではなく、「神がその力を働かせ」、神の恵を賜わって実現する。その恵みというのも、すぐれた特性とか賜物であるとは限らず、むしろ、一般的にはマイナスになると思われるようなことが、神によってプラスに用いられるのである。神の「秘められた計画」の中には、つまらない、罪深い私たちをも用いられるという計画も入っているのではなかろうか。
 そこで、パウロは言う。「だから、あなたがたのためにわたしが受けている苦難を見て、落胆しないでください。この苦難はあなたがたの栄光なのです」と。神の計画が実現すると言うことは、この世において何の苦難もなくなることではない。苦難でさえ、全く違った意味を持って来る。パウロの苦難を通して、異邦人にも福音が伝わり、彼らにも救いがもたらされる。私たちが日常生活の中で抱える様々の問題も、実は、神の秘められた計画の一環であり、神の栄光を表わすことにつながるのである。

主日礼拝説教<要 旨> 2014年8月24日  山本 清牧師 

 聖  書:エフェソの信徒への手紙 3:1-13 
 説教題:「
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