周りに座っている人々を見回して言われた。「見なさい。ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。神の御心を行う人こそ、わたしの兄弟、姉妹、また母なのだ。」      (マルコによる福音書334,35

 イエスのことを「あの男は気が変になっている」と言われているのを聞いた身内の人たちは、イエスを取り押さえに来て(マルコ321)、家の外に立ち、人をやってイエスを呼ばせた(31)。この「外に立ち」という言葉は、彼らが集まって人々の中に入ろうとしないということを表わしていると共に、「気が変になっている」という意味が含まれている。筆者はその語を用いることによって、自分たちは正常だと思っている身内の人たちこそ、イエスとの本来の関係が「変になっている」のではないかと問いかけているのだ。私たちも、主イエスを自分の理解・自分の気に入る範囲に納めてしまっているのではないかと問われている。
 一方、家の内側でイエスの周りにいる人は、イエスへの期待を持って集まっているが、彼らの中には、病気の癒しなど御利益だけを求めている人、後にイエスが裁かれる時には「十字架につけろ」と叫ぶ人、弟子でありながら主を裏切る人たちが含まれている。そういう意味では、イエスの周りにいる人と、外に立っている人との間に大きな違いがあるとは言えない。
 そうした中で、主イエスは「わたしの母、わたしの兄弟とはだれか」と問いかけられ、周りに座っている人々を見回して、標記のように述べられた。これは、主イエスがこの人たちを買い被っておられるのではない。主イエスがこの人たちを、「自分の母、自分の兄弟」にしようとの決意をもって御覧になっているのであり、彼らの自己本位な心、不確かな信仰を御自分の命に代えて確かなものにしようと決心しておられるのである。この言葉は、イエスの周りに座っている人たちにだけ言われたのではなく、イエスの母や兄弟たちもまた、肉親の関係を超えた神の家族になってほしい、いや神の家族にしようとの思いを込めておられるのではないか。
 「神の御心を行う人」とは、ただ立派な行いをしている人と言う意味ではない。「ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる」との主の言葉を、自分を指して言われた言葉として受け入れ、主イエスに従って行く人のことである。主イエスはこの言葉を私たちにもかけてくださっている。

主日礼拝説教<要 旨> 2014年8月17日  山本 清牧師 

 聖  書:マルコによる福音書 3:31-35 
 説教題:「
イエスの母、兄弟」 説教リストに戻る