イエスは山に登って、これと思う人々を呼び寄せられると、彼らはそばに集まって来た。そこで、十二人を任命し、使徒と名付けられた。彼らを自分のそばに置くため。また、派遣して宣教させ、悪霊を追い出す権能を持たせるためであった。    (マルコによる福音書31315

 イエスに対する人々の誤解や敵意が拡がる中で、イエスは彼らと離れて山に登られた。山は祈りの場であり、神の御心が示される所である。イエスはそこで、「これと思う人々を呼び寄せられ」た。この言葉の意味は、優れた者を選別されたということではなく、御意志によって選び招かれたということである。私たちが弟子として招かれる場合も、私たちに見所があるからでなく、神の強い御意志が働いているからである。
 十二人が使徒に任命された。これは、イスラエルの十二部族を引き継ぐ新しい教会の基礎が形成されたことを意味する。
 彼らを任命した目的が三つ挙げられている。第一は、「彼らを自分のそばに置くため」である。それは、イエスの危険が迫る中で親衛隊として守らせるためではない。また、生活を共にすることによって全人格的な教育を行うためでもない。ぶどうの枝がぶどうの木につながっていることによって、養分を得て、実を結ぶことができるように(ヨハネ1545)、イエスの愛と命を受けるためである。第二は、「派遣して宣教させる」ためである。使徒は自分の考えや主張を語るのではなく、派遣した方の言葉・御業を伝える。第三は、「悪霊を追い出す権能を持たせるため」であった。悪霊とは神に敵対する諸々の力のことである。使徒たちが悪霊を追い出す力を持ったということではなく、主の力を預かったということである。
 使徒に任命された弟子たちは、それまでの仕事や立場がまちまちであり、主イエスを裏切ることになるペトロやユダさえも含まれていた。これは教会の縮図であり、現実をも表わしている。だが、主イエスは、そのような者たちを呼び寄せ、主の目的のためにお用いになるのである。
 私たちも礼拝に呼び寄せられ、主の御業に用いようとされている。それは決して安楽な道ではなく、厳しい試練が待ち受けているかもしれない。
 だが、主が召し出してくださったことに信頼したい。主は必ず、私たちをも用いて、御業を成し遂げてくださるであろう。

主日礼拝説教<要 旨> 2014年8月3日  山本 清牧師 

 聖  書:マルコによる福音書 3:13−19 
 説教題:「
イエスの弟子になる」 説教リストに戻る