イエスは、安息日に会堂に入って教え始められた。人々はその教えに非常に驚いた。律法学者のようにではなく、権威ある者としてお教えになったからである。       (マルコによる福音書12122

 主イエスが会堂で語られたことは、律法学者のような聖書の解説や、律法を厳守すれば神の国が実現するということではなく、「時は満ち、神の国は近づいた」(マルコ115)、「この聖書の言葉は、今日、実現した」(ルカ421)との宣言であった。それは、主イエス御自身が責任をもって実現なさることとして語られたので、迫力があり、「権威ある教え」として受け取られたのである。
 主イエスの言葉は、そのように「権威ある教え」として聴く人々に驚きを与えただけでなく、実際に現実を動かす力を持っていた。会堂に汚れた霊に取りつかれた男がいて、主イエスの威力を敏感に感じて、「我々を滅ぼしに来たのか。正体は分かっている。神の聖者だ」と呼んだ。そこで主イエスが「黙れ。この人から出て行け」とお叱りになると、汚れた霊は大声をあげて出て行った。主は、私たちを惑わしたり脅かしたりしている悪魔的なものを見破り、それを追い出す権威を持っておられるのである。
 主イエスの権威は、会堂の中だけで発揮されるのではない。一行が会堂を出て、弟子のシモン(ペトロ)とアンデレの家に行くと、シモンのしゅうとめが熱を出して寝ていたので、主イエスが手を取って起こされると、熱が去った。そのことがきっかけで、そのしゅうとめはずっと奉仕を続けるようになったし、シモン(ペトロ)の妻も主に仕える信仰の家族となった。このように、主イエスが語られる御言葉は、単なる聖書の教えや勧めではなく、権威ある教えとして、人々に救いをもたらす力を持っていたのである。
 このことは、2000年前のカファルナウムの町だけで起こったことではなく、今も、主イエスは私たちの会堂に来てくださって、権威ある御言葉を語ってくださることによって、私たちの中に新しい事態、神の国の開始をもたらしてくださるのである。

主日礼拝説教<要 旨> 2014年5月18日  山本 清牧師 

 聖  書:マルコによる福音書 1:21−34 
 説教題:「
権威ある教え」 説教リストに戻る