主に望みをおく人は新たな力を得/わしのように翼を張って上る。走っても弱ることなく、歩いても疲れない。(イザヤ書4031 

 イザヤ書(第二イザヤ)が書かれた当時、イスラエルはバビロン捕囚の状態にあって、神への信頼を失い、将来に対する希望が持てなくなって、歩むべき道が見えなくなって、心が病み、疲れていた。
 現代人も、激しい競争社会の中で、仕事や勉強に疲れ、人間関係に疲れ、先行きが不透明な中で希望が持てなくなって、心が病み、疲れている。疲れの根本原因は、心から信頼できるものを失っているからではないか。
 そのような者達に向かって、預言者は「誰が天の万象を創造したかを見よ」と呼びかけ、「主はとこしえにいます神/地の果てに及ぶすべてのものの造り主。倦むことなく、疲れることなく/その英知は究めがたい」と語る。イスラエルの民は捕囚の現実の中で、神も倦み疲れたのではないか、自分たちを助ける力も尽きた、と思っていた。私たちも、この世の現実の労苦と先の見えない閉塞状態の中で、神もこの現実を変えることは出来ないのではないかと思って、神を小さな存在にしてしまう。そこに私たちの罪があり、疲れの根本原因がある。だが、万象を創造された神は、決して倦むことなく、今も被造物を愛し続け働き続けてくださり、私たちに命を注ぎ続けてくださるお方である。そして預言者は、標記のように断言する。「力を得る」とは、<力を入れ替える>という意味の語である。神に望みをおく人には、神の大きな新しい力を入れ替えてくださるのだ。
 主イエスも、「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう」(マタイ1128)とおっしゃった。主イエスは私たちを「疲れた者、重荷を負う者」と見ておられる。そして、「わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである」と言ってくださる。主イエスは私たちの疲れの根本原因である罪の重荷を一緒に負って、十字架に架かってくださった。ここに本当の安らぎがある。イザヤの言葉は主イエスにおいて成就されたのである。

伝道礼拝説教<要 旨> 2014年5月11日  山本 清牧師 

 聖  書:イザヤ書40:27−31/マタイによる福音書 11:25−30 
 説教題:「
主に望みをおく人」 説教リストに戻る