草は枯れ、花はしぼむが/わたしたちの神の言葉はとこしえに立つ。
                               (イザヤ書408 

 イザヤ書4055章の「第2イザヤ」と呼ばれる部分は、紀元前6世紀後半のバビロン捕囚時代末期に書かれたとされる。ユダの民は国を滅ぼされ、主だった人々は異国での生活を余儀なくされ、神の民としての歴史は終わったのではないか、神の約束に信頼しても無駄ではないのか、との思いが広がる中で、預言者は「慰めよ、わたしの民を慰めよと/あなたたちの神は言われる。……苦役の時は今や満ち、彼女(ユダの民)の咎は償われた」12)と述べ、祖国に帰還する日が来ることを告げた。
 また、「主のために、荒れ野に道を備え/わたしたちの神のために、荒れ地に広い道を通せ」35)とも呼びかけている。この「道」とは、直接的にはバビロンからエルサレムに帰る道であるが、それはユダの民のための道というより、「神のため」の道だと言われている。主の栄光が現れる道なのだ。この呼びかけは、新約聖書では、救い主の到来のための道を備えよと告げる洗礼者ヨハネによって成就されたとされている。つまり、バビロン捕囚からの解放の預言は主イエスによる罪の奴隷からの解放と重ね合わせて受け取られたのである。
 21世紀の現代の私たちも、大きな力に捕えられ、真の意味で自由には生きておらず、将来に対する見通しの持てない閉塞感が覆う中で、不安や混迷の状態にある。これは<現代版バビロン捕囚>である。
 だが、預言者イザヤが告げる解放の御言葉は、現代においても「枯れることなく、しぼむこともなく」立ち続ける。「見よ、主なる神。彼は力を帯びて来られ/御腕をもって統治される。見よ、主のかち得られたものは御もとに従い/主の働きの実りは御前に進む」10)と語られている。罪の故に<現代版バビロン捕囚>状態になっている私たちを主イエスは解放され、神の国を完成されるのである。
 そこで、「良い知らせをシオンに伝える者よ。・・・声をあげよ、恐れるな。ユダの町々に告げよ」910)と促されている。<現代版バビロン捕囚>からの解放の御言葉を宣べ伝えるのは、私たちの使命である。「神の言葉はとこしえに立つ。」

主日礼拝説教<要 旨> 2014年4月27日  山本 清牧師 

 聖  書:イザヤ書 40:1−11 
 説教題:「
神の言葉はとこしえに立つ」 説教リストに戻る