わたしたちはこの御子において、その血によって贖われ、罪を赦されました。これは、神の豊かな恵みによるものです。                         (エフェソの信徒への手紙17 
 エフェソの信徒への手紙の挨拶(12節)に続く314節は、手紙全体の導入部に当たるが、ここは全部が神を賛美する頌栄になっている。
 
冒頭の3節では、「わたしたちの主イエス・キリストの父である神は、ほめたたえられますように。神はわたしたちをキリストにおいて、天のあらゆる霊的な祝福で満たしてくださいました」と、あらゆる祝福が「キリストのおいて」であることを述べる。以下、「キリストにおいて(よって)」「御子において(よって)」が10回も出て来る。
 次に、46節では、神が私たちを「天地創造の前に…キリストにおいてお選びになった」ことを賛美する。創世記の記述では、天地創造の御業の最後に人間が創造されたのだが、神の子としての選びは、驚くべきことに、天地創造の御業の以前から神の御心であり、最初からキリストの執り成しの愛の業が用意されていたということになる。
 
7章では、標記のように述べられ、これは正に十字架による贖いの御業のことであり、最初から、御子において罪を赦す用意をされていたのだ。ここに計り知れない豊かな恵みがある。
 
8章以降は、キリストが地上に来られて以降、具体化された恵みがどのようにして私たち一人ひとりの人間にとって確かなものとされていったかが語られている。まず、89節では、神の「秘められた計画」が人間の「知恵と理解」に向けて開かれたこと、10節では、キリストのもとに弟子たちが集められ、教会が形成されたこと、1112節では、キリスト者が「約束されたものの相続者」とされたこと、そして 13,14節では、福音(真理の言葉)と救い(罪の赦し)聖霊の働きによって保証されていることが語られている。
 
そして最後に14節後半で、私たちが贖われて神のものとなったことを述べて、救いの御業の壮大なパノラマの賛美を締め括っている。
 私たちは皆、この壮大な救いの御計画に招かれているのである。

主日礼拝説教<要 旨> 2014年4月13日  山本 清牧師 

 聖  書:エフェソの信徒への手紙 1:1−14 
 説教題:「
贖われ、罪を赦され」 説教リストに戻る