主の約束の実現を遅らせておられるのではありません。そうではなく、一人も滅びないで皆が悔い改めるようにと、あなたがたのために忍耐しておられるのです。           (ペトロの手紙二39 

 主イエスは十字架の時が迫る中で、終末の徴や再臨のことを語られ、「目を覚ましていなさい」と警告されていた。しかし、主イエスの復活・昇天から日が経つにつれ、再臨への緊迫感が薄れ、「世の中のことは、天地創造の初めから何一つ変わらないのではないか」(4)と考えて、自分の思いや欲望にままに生活する者たちが現れてきた。そうした中で、この手紙では、まず、旧約聖書の天地創造の御業や洪水による裁きの例を挙げながら、神は御言葉によって時間と空間を御支配なさり、不信仰な者を滅ぼされるお方であることを思い起こさせつつ、標記のように、「一人も滅びないで、皆が悔い改めるように」と、忍耐しておられることを教えている。
 再臨がいつ起こるかは私たちには知ることができないので、「主の日は盗人のようにやって来る」(10)のであるが、そのタイミングは神の愛と忍耐によって決められるのであって、固定的なものではない。
 では、私たちは再臨の時までをどのように過ごせばよいのか。筆者は、「聖なる信心深い生活を送らねばなりません」(11)、「このことを待ち望みながら、きずや汚れが何一つなく、平和に過ごしていると神に認めていただけるように励みなさい」(14)と勧める。これは神の国に入るための新しい資格が述べられているというよりも、キリストの救いの御業によって、神との平和な関係が回復される道を指し示しているのである。筆者は最後に、「堅固な足場を失わないように注意しなさい」(17)と言う。「堅固な足場」とは、「これらの手紙によってあなたがたの記憶を呼び起こして、純真な心を奮い立たせなさい」(1)と言っている「記憶」、即ち、聖書の御言葉の記憶である。御言葉を聴き続けるときに、私たちの心が定まり、再臨を待ち望む心が形成されるということである。

主日礼拝説教<要 旨> 2014年3月30日  山本 清牧師 

 聖  書:ペトロの手紙二 3:1−18 
 説教題:「
主の来臨の待望」 説教リストに戻る