兵士の一人が槍でイエスのわき腹を刺した。すると、すぐ血と水とが流れ出た。それを目撃した者が証ししており、その証しは真実である。                (ヨハネによる福音書193435 

 ヨハネ福音書の記者は、主イエスの十字架における死にまつわるすべてのことが、旧約聖書の言葉の実現であり、主イエスが語っておられたことの成就であるとして、証ししている。
(1)「渇く」と言われたのは、詩編で「口は渇いて素焼きのかけらとなり・・・」(2216)と言われていることの実現であり、主イエスが私たちの霊的な渇きを代わって担ってくださったことによって、サマリアの女に約束された「わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る」(ヨハネ414)との御言葉が私たちに成就することになった。
(2)ぶどう酒を…含ませた海綿をヒソプに付け、イエスの口もとに差し出した」(1929)ということは、かつてイスラエルの民がエジプトを出るとき、ヒソプによって鴨居と柱に羊の血を塗ったことによって災いが過ぎ越した故事と関係して受け取られ、主イエスが「神の子羊」として犠牲の血を流してくださったことで、救いの御業が「成し遂げられた」(30)と証ししている。
3)主は頭を垂れて「息を引き取られた」(1930)のだが、これは「霊を引き渡した」とも訳せる言葉で、ここで御自分の命()を神に委ねられたことと、御自分の霊の働きを弟子たちに引き渡したことの意味が重ねられている。
(4)兵士が主イエスの死を確認するために、標記のようにわき腹を刺すと、血と水が流れ出た。これはゼカリヤ書で「彼ら自らが刺し貫いた者であるわたし」(1210)と言われている、神の民の罪が現実となったものであるが、これは、洗礼式で用いられる水と聖餐式で血を表わすぶどう酒の起源として理解されている。
 このように、主イエスの十字架の死は弟子たちの命につながっており、その命を更に多くの人々に引き渡すために、福音書が記されたのである。私たちは、今は主の肉声を聞くことは出来ないが、こうした聖書の言葉を通して、主の霊の命を注がれて、主の救いの御業が私たちの中に成就されるのである。

主日礼拝説教<要 旨> 2014年3月16日  山本 清牧師 

 聖  書:ヨハネによる福音書 19:28−37 
 説教題:「
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