「万軍の主の言葉を聞きなさい。王宮にあるもの、あなたの先祖が今日まで蓄えてきたものが、ことごとくバビロンに運び去られ、何も残らなくなる日が来る、と主は言われる。あなたから生まれた息子の中には、バビロンの宮殿に連れて行かれ、宦官にされる者もある。」
                   (イザヤ書3957 

 南王国ユダの王ヒゼキヤは、神殿を修復し、偶像を破壊するなど宗教改革を断行する一方、導水トンネルを建設するなど街づくりにも貢献したことで、歴代の王の中でも高く評価されている王であるが、アッシリア帝国の強い圧力のもとで、政治的には困難な状況にあった。そうした状況の中で死の病にかかるが、必死で祈ったところ、寿命を十五年延ばしていただくことになった。
 そんなヒゼキヤ王のことを聞いたバビロン王から遣わされた使者が、手紙と贈り物を携えて健康回復の見舞いにやって来た。そのねらいは、友好関係を深めてアッシリアに対抗しようと、国情を探ることにあったと思われる。使者を迎えたヒゼキヤは、勢力を伸ばしつつあるバビロンが弱小国であるユダを認めてくれたことがうれしかったのか、大歓迎し、宝物庫、倉庫、武器庫にあるものなど、ありったけのものを見せたのである。軽率と言わざるを得ないし、神の守りを信じないで、強そうに見える国と同盟関係を結ぶことの過ちに気づいていないのである。
 来客があったことを知った預言者イザヤは、王に問い質した上、標記のような厳しい神の裁きの言葉を伝えた。これは、将来に起こるバビロン捕囚を予告するものであった。私たちも難局に遭遇した時に忘れてならないのは、人の力に頼ろうとする前に神を信頼し、まず御心を問い、神の助けを祈るのでなければ、神の裁きを受けざるを得ないということである。
 ところで、イザヤが告げた裁きの宣言に対して、ヒゼキヤは「あなたの告げる主の言葉はありがたいものです」と答えている。これは、自分の在世中は平和と安定が続くので「ありがたい」と言っているのだとの解釈ができるが、そんな利己的で無責任な態度にはがっかりさせられる。しかし、次の40章から始まる第二イザヤ書の冒頭には、「苦役の時は今や満ち、彼女(エルサレム)の咎は償われた」と、バビロン捕囚からの帰還の約束が述べられている。この預言自体は後の捕囚中に語られたものであるが、イザヤ書の編集者は、主の御心は裁きで終わらず、その向こうに救いがあることを読み取っていたのであろう。ヒゼキヤの言葉は自己中心や見通しの甘さから出たものであったかもしれないが、主の御言葉は決して裁きで終わらず、その向こうには主の救いが備えられるのである。

主日礼拝説教<要 旨> 2014年2月23日  山本 清牧師 

 聖  書:イザヤ書 39:1−8 
 説教題:「
主の言葉を聞きなさい」 説教リストに戻る