門番の女中はペトロに言った。「あなたも、あの人の弟子の一人ではありませんか。」ペトロは、「違う」と言った。
                          (ヨハネによる福音書1817 

 主イエスが捕えられて、大祭司の屋敷で尋問を受けておられたとき、ペトロともう一人の弟子(大祭司の知り合いで、多分、十二人以外の弟子)が大祭司の屋敷までついて来た。もう一人の弟子はつかつかと中に入って行ったが、ペトロは躊躇して「門の外に立って」いた。ここにペトロの不徹底な気持ちが表れている。もう一人の弟子が門番に話して、ペトロも中に入ると、門番の女中は標記のように言った。彼女はとがめるつもりで言ったのではなく、軽い気持ちで尋ねただけだろうが、ペトロは動揺して、「違う」と答えてしまう。そして、イエスを捕えた人たちと「一緒に立って」、炭火にあたっていた。こうして、ペトロは自分の立場を曖昧にしてしまった。
 ところが、人々が「お前もあの男の弟子の一人ではないか」と口々に言うと、ペトロは再び「違う」と言う。更に、大祭司の僕の一人で、ペトロに片方の耳を切り落とされた人の身内の者が、「園であの男と一緒にいるのを、わたしに見られたではないか」と、殆んど弁解の余地のない指摘をしても、ペトロは打ち消した。こうして、ペトロは主イエスとの関係を決定的に否定してしまった。するとすぐ、鶏が鳴いた。
 私たちも、ペトロのような態度をとってしまうことがある。主イエスに従いたいとの思いを持ちつつも、その立場を鮮明にすることが出来ず、「門の外に立って」いたり、主に敵対する人たちと「一緒に立って」しまうのである。「あなたも、あの人の弟子の一人ではないか」との問いは、様々な場面で、実は主イエスから問いかけられている問いなのだが、いつも曖昧にしているのではないか。

 主イエスは最後の晩餐の席で、「鶏が鳴く前に三度わたしを知らないと言う」と予告されていた。これは、ペトロを責めるために言われたのではなく、愛する弟子を偽りから目覚めさせ、悔い改めへと導き出すために備えられた言葉であった。主イエスは復活後、ペトロに対して、三度「わたしを愛しているか」と問われ、「わたしがあなたを愛していることはあなたがご存じです」との答えを引き出された。それは、ペトロが三度「違う」と言ったことを取り消すための主イエスのお心遣いであった。

主日礼拝説教<要 旨> 2014年2月9日  山本 清牧師 

 聖  書:ヨハネによる福音書 18:15−18、25−27 
 説教題:「
あなたも弟子の一人か」 説教リストに戻る