夜が明け、明けの明星があなたがたの心の中に昇るときまで、暗い所に輝くともし火として、どうかこの預言の言葉に留意していてください。                          (ペトロの手紙二119  

 混沌と闇が覆うところに、神は「光あれ」と言われて光を創造されて(創12)、そこに月や星や太陽、動物や植物と共に人間も創造されて、神が「極めて良かった」(創131)と言われる世界が始まった。輝かしい「光の物語」の開始である。だが、それが人間の罪によって破壊され、再び闇が覆うことになった。聖書では、光の中にあるか闇に覆われているかを、文化や文明の進歩で捉えるのではなくて、神と人間との関係で捉える。神との関係が崩れると、世の中から光が失われ、先が見えなくなり、心の中を闇が支配し始めるのだ。
 しかし、神はそのような闇の状態(罪の状態)を放置されず、旧約の時代にもイスラエルの民を通して、この世に光をもたらそうとされたが、人間の罪は止まることを知らず、闇が晴れることはなかった。
 そこで神は、新たな光の道を開こうと、「世の光」である御子イエス・キリストをお送りくださった。クリスマスの光の到来である。その主イエスが十字架への道を歩み始められて、弟子たちが不安の中にある時に、三人の弟子と共に山に登って、「顔は太陽のように輝き、服は光のように白く」(マタイ172)なるお姿をお見せになり、天からの「これはわたしの愛する子。わたしの心に適う者」という言葉を聞かせて、十字架の主こそ、復活されて、栄光をお受けになるお方であることを示された。こうして、十字架にお架かりになった主は、復活の朝の光の中で甦られた。
 主は昇天にあたり、再臨の約束をされたが、それを信じない偽教師が現れて、退廃的な生活をする人が出て来て、再び闇が覆い始めた。そこで使徒は標記のように、再臨の時には主が「明けの明星」として来られて、光の物語を完結させられることを語っているのである。そして、その時までは、御言葉こそが罪の闇に覆われたこの世にあって、私たちを導く「ともし火」であると言うのである。詩編の詩人も「あなたの言葉は、わたしの道の光/わたしの歩みを照らす灯」(詩119105)と歌っている。

主日礼拝説教<要 旨> 2014年1月12日  山本 清牧師 

 聖  書:ペトロの手紙二 1:16−21 説教題:「輝くともし火の言葉」 説教リストに戻る