主イエスは、御自分の持つ神の力によって、命と信心にかかわるすべてのものを、わたしたちに与えてくださいました。それは、わたしたちを御自身の栄光と力ある業とで召し出してくださった方を認識させることによるのです。            (ペトロの手紙二13 

  ペトロの手紙二は、教会の中に「偽教師」と呼ばれる人が現れて、再臨などは起こらないと主張したために、退廃的な生き方が広がることに対する警告の書である。そこで筆者は冒頭の挨拶の中で、「わたしたちの神と救い主イエス・キリストの業によって、わたしたちと同じ信仰を受けた人たちへ(1)と述べて、「キリストの義」即ち、救いの御業が信仰の根拠であることを示し、そのことを「知ることによって」、「恵みと平和が豊かに与えられる(2)としている。
 そして本文に入ると、標記のように、私たち信仰者には、「命と信心にかかわるすべてのもの」が与えられていると言う。「命」とは、単なる肉体的な命のことではなく、神との関係において生きる命のことであり、「信心」とは「敬虔」とも訳される言葉で、神を崇め、神に仕える心のことである。そうした「命」や「信心」を失いそうになる中で、圧倒的な「力」によって私たちを召し出してくださった方を改めて「認識」2節の「知る」と同じ語)することの重要性を強調するとともに、「この栄光と力ある業とによって、わたしたちは尊くすばらしい約束を与えられている(4)として、「これらによって、情欲に染まったこの世の退廃を免れ、神の本性にあずからせていただくようになる(4)と述べて、キリストを知ることによって「信仰」「徳」「知識」「自制」「忍耐」「信心」「兄弟愛」「愛」といったものが自然に備わることを強調するのである。
 私たちは、「視力を失って」「近くのものしか見えず(9)と言われているように、近視眼的になって、目先のことしか考えられなくなって、洗礼を受けて「罪が清められたことを忘れて」いる。私たちのこの世の生は「仮の宿」(1314)であって、再臨の時には「永遠の御国に入る(11)者とされていることを忘れてはならない。そのために、本年の目標に掲げられているように、御言葉によって、救われた恵みを「知る」ことによって、『御言葉に生かされる』者でありたい。

主日礼拝説教<要 旨> 2014年1月5日  山本 清牧師 

 聖  書:ペトロの手紙二 1:1−15 説教題:「御言葉に生かされる」 説教リストに戻る