「わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる。」                (ヨハネによる福音書1011
「はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。」
                
(マタイによる福音書2540

 今年のクリスマス合同礼拝では、ブラックシアターを用いて「遅れてやって来た羊飼いと博士」の話をした。その話の一つは、野宿して羊の群れの番をしていた羊飼いたちが、天使によって救い主の誕生を知らされ、ベツレヘムの町へ出かけようとしたが、羊飼いのベンが小羊のチロがいないことに気づき、チロを捜しに行って穴に落ち込んでいたチロを助け出している間に、遅れてしまったという話。今一つは、ヴァン・ダイクの「もう一人の博士」を作り変えたもので、東の国で星の研究をしていた四人の博士が星によって新しい王の誕生を知り、それぞれ宝物を持って拝みに行こうとしたのだが、四人の一人のアルタバンは手持ちの宝物がなくて、町で購入して追いかけると、途中でまず、死にそうになった男に出会い、その男を宿屋に預けた時に宝石を渡し、次にヘロデ王が2歳以下の幼児を殺す命令を出したため、兵隊が来て赤ん坊を殺されそうになっていた母親に出会い、兵隊にルビーを渡し、更に、奴隷商人に売られそうになっていた女に出会い、奴隷商人に真珠を渡して解放させた。こんなことに手間取って、他の三人より遅れてしまった、という話。これらの話は聖書には書かれていないが、後に主イエスが話されたことにつながっている。
 主イエスは、百匹の羊を持っている羊飼いが見失った一匹を見つけ出すまで捜し回って、見つけたら大喜びをするという譬えを話され、標記のように言われた。主は命がけで私たち羊を救い出して下さる羊飼いなのだ。また、主イエスが終末時に裁きの座に着かれる時、空腹の人に食べさせ、のどが渇いている人に飲ませ、旅人に宿を貸し、裸の人に着せ、病気の人を見舞い、牢に閉じ込められた人を訪れることは、標記のように、私にしてくれたことになると語られた。アルタバンは困っている人たちを次々に助けて宝物を使い果たしたために、遅れた上、主イエスに宝物を何もお献げすることが出来なかったが、アルタバンのしたことは自分にしてくれたこととして喜んでくださるということである。
 私たちは遅れてきた羊飼いや博士のように、主イエスにお献げする宝物を何も持たずに遅れて来る者であっても、迷い出た者を助け出し、困っている人を助ける者を、喜んで迎えてくださるのである。

クリスマス合同礼拝説教<要 旨> 2013年12月22日  山本 清牧師 

 聖  書:マタイによる福音書 2:1−12 説教題:
                    「
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