「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。
                       (マタイによる福音書12021

 イエスの母マリアの婚約者ヨセフは、マリアの懐妊に気づいて苦悩する。当時の律法によれば、婚約中に他の男と関係すれば姦淫の罪を犯したとみなされて、石打の刑に処せられる。ヨセフがマリアと関係していないことを明かせば、マリアの命を奪うことになってしまう。逆に、誰の子を宿しているのか分からないまま正式に結婚して、他人の子を一緒に育てるという道もあるが、それはヨセフにとっては耐え難い。そこで第三の道として、ひそかに縁を切ろうと決心した。ヨセフという男は子供を産ませておきながら何という無責任な男かと非難を受けるかもしれないが、マリアを守るにはこうするほかないと判断したのだろう。
 だが、このように考えている時に、夢に天使が現れ、標記のように告げた。天使が命じたことは、ヨセフが苦悩の末に最善の道と考えたこととは違っていた。聖霊によって処女が懐妊するということは常識を超えることであり、キリストの降誕を美化するための作り話ではないかと疑ってしまう。だが天使は、生まれる男の子に「イエス」と名付けるようにと言う。それは「ヤハウエ()は救いである」という意味を持つ。人間を罪から救うということは、天上であれこれ指図するとか、霊力のようなものを送って出来ることではない。神の子であるお方が人間として地上に来て、人間の罪の中で泥まみれ血まみれになって出来ることである。マタイの解説によれば、預言者イザヤが「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエル(神は我々と共におられる)と呼ばれる」と言っていたことの実現だと言う。ここに、主イエスの誕生の意味が語られている。ヨセフはそのことをすぐに理解できたわけではないだろうが、ヨセフは天使の言葉に従って、マリアを妻として迎え入れ、その子をイエスと名付けた。ヨセフにも聖霊が働いたのであろう。
 神が聖霊において働かれるとき、それは人間にとって不可解であるだけでなく、困惑と苦しみを与えるものとなることがある。だが、ヨセフが天使の言葉に従ったように、聖霊の働きを信じて、恐れず御言葉に聴き従うとき、神の大きな救いの御業に参加することが出来るのである。

主日礼拝(待降節第三主日)説教<要 旨> 2013年12月15日  山本 清牧師 

 聖  書:マタイによる福音書 1:18−25 説教題:「聖霊によって宿る」 説教リストに戻る