ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。
ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。
権威が彼の肩にある。

その名は、驚くべき指導者、力ある神、永遠の父、平和の君と唱えられる。
                                (イザヤ書95 

 本年は年間目標として「喜びの礼拝」を掲げて来た。ところが、預言者イザヤは、「あなたは深い喜びと/大きな楽しみをお与えになり/人々は御前に喜び祝った」と過去形で語る。これは「預言者的過去」と言われる語法で、語られていることが間違いなく起こることを表わす表現法であるが、このイザヤの預言はイエス・キリストの降誕によって実現した。従って、「喜びの礼拝」は既に始まっている筈のことなのである。では、何が起こっているのか。
 第一は、「闇の中に歩む民は、大いなる光を見/死の陰の地に住む者の上に、光が輝いた」と告げている。現代の状況は先の見えない闇のようであり、そこにいる私たちは、神の目から見るなら「死の陰の地に住む者」である。だが、みどりごが生まれたことによって、人間の罪の問題の根本的な解決に光が与えられたので、あたかも刈り入れの祝いや戦争が終結した時(24)のような喜びと楽しみが始まることになる。
 第二は、標記のような権威をもった王の登場である。「驚くべき指導者」とは、英訳では「ワンダフル・カウンセラー」で、生きる意味や目的を見失っている人たちに寄り添って、目指すべき目標やプランを示してくださるお方、「力ある神」とは、襲ってくる敵に対して、勝利へと導いてくださるお方、「永遠の父」とは、あの放蕩息子の父親(ルカ151以下)のように、愛と厳しさをもって、どのような時にも見守って、決して見放すことのないお方、「平和の君」とは、単に戦いがないというだけでなく、サタンの支配から解放し、真の充足を与えるお方、である。
 そして最後にイザヤは言う。「万軍の主の熱意がこれを成し遂げる」と。今はまだ、闇は去らず、希望の光はかすんでいて、争いは絶えず、喜びは遠くにあるように見えるが、神は、その熱意をもって、教会を通して、その御業の完成に向けて、成し続けておられるのである。

 

主日礼拝(待降節第二主日)説教<要 旨> 2013年12月8日  山本 清牧師 

 聖  書:イザヤ書 9:1−6 説教題:「平和の君の到来」 説教リストに戻る