ヒゼキヤ王はこれを聞くと衣を裂き、粗布を身にまとって主の神殿に行った。また彼は宮廷長エルヤキム、書記官シェブナ、および祭司の長老たちに粗布をまとわせ、預言者、アモツの子イザヤのもとに遣わした。(イザヤ書3712 

 BC701年、アッシリア王センナケリブの大軍がエルサレムに迫っていた。アッシリア王はラブシャケという交渉役をユダの王ヒゼキヤの高官たちのもとに遣わした。ラブシャケは@エジプトに頼っても頼りにならないこと、A神に救い出してもらおうとしても無駄であること、Bむしろ、神がエルサレムを滅ぼせと命じておられることなどを述べて降伏を迫った。
 これを聞いたヒゼキヤ王は、その言葉に惑わされることなく、また、軍隊の体制を整えることよりも先に、まず標記のように、エジプトに頼って神に頼ろうとしなかったことを悔い改めて神殿に出向くとともに、家臣を預言者イザヤのもとに遣わして、神の言葉を聴くことと、イザヤにも祈ってもらおうとした。私たちが危機に陥った時に、まず第一にすべきことは、このように、神の前に出て謙虚に自らを振り返って、神に祈ること、そして御言葉を聴くこと、更に信仰の仲間に祈ってもらうことである。そこから危機を脱する本当の道が開かれる。
 ヒゼキヤは祈りの中で、神が万物を創造された方であり、地上の全てを御支配なさっているとの信仰を告白しつつ、アッシリアが滅ぼすことが出来たのは偶像を拝んでいた国々であって、自分たちは主によって救っていただけるとの確信を述べている。ここに危機に陥った際の祈りのモデルがある。そして、イザヤを通して帰って来た御言葉は、「恐れてはならない」との励ましと、神の霊が働いて、アッシリア王が倒されるとの告知であった。アッシリア王が力を誇り、大言壮語をしても、歴史を動かしておられるのは主なる神であり、神を冒涜する者には厳しい裁きが告げられる。
 神は初めからエルサレムを守る計画を持っておられるのであって、危機を通してヒゼキヤ王とエルサレムの民が自らを省み、神に祈り、御言葉に耳を傾けることへと立ち返らせられたのである。

主日礼拝説教<要 旨> 2013年11月24日  山本 清牧師 

 聖  書:イザヤ書 36:1−37:38 説教題:「主が救い出してくださる」 説教リストに戻る