「神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神なのだ。すべての人は、神によって生きているからである。」(ルカによる福音書2038

 復活を否定するサドカイ派の人々が主イエスに、「七人兄弟の長男が妻をめとり、子がなくて死んだので、律法に従って次男、三男と次々に彼女を妻にしたが、いずれも子供を残さず死んだ場合、復活の時に、その女は誰の妻になるのか」との質問をした。これは主を陥れるための現実離れした問いであるが、主は、「この世の子らはめとったり嫁いだりするが、次の世に入って死者の中から復活するのにふさわしいとされた人々は、めとることも嫁ぐこともない。この人たちは、もはや死ぬことがない。天使に等しい者であり、復活にあずかる者として、神の子だからである」と答えられた。地上の生活では、神の祝福を子孫に受け継ぐために結婚が必要であっても、主イエスが再び来られて私たちが復活する時には、もはや死がないので、子孫を残す必要もなく、結婚の役割は終わる。地上における人間的な絆は断ち切られるのだ。では、復活後の世界は、夫婦の愛や親子・兄弟の絆もない無味乾燥な状態なのだろうか。そうではない、「天使に等しい者」と言われているのは、地上の人間関係では避けることのできない罪から解放されて、神の愛のふところの中で、神に仕え、互いに仕え合う喜びの交わりに生きることが出来るようになるということである。
 更に主は、「死者が復活することは、モーセも『柴』の箇所で主をアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神と呼んで、示している」と言われ、モーセが召命を受けて尻込みをした時に、神がイスラエルの父祖たちが生き続けていると言われたことを思い起こさせられ、続けて標記のように語られたのである。これは、死んだ者は神との関係が切れるという意味ではなく、むしろ逆に、信仰をもって世を去った者は、地上の生を終わっても、神との関係は生き続けていて、神は大いなる愛をもって人を生かし続けられるということである。私たちは地上で生きている間には、神のことを忘れ、他人のことより自分中心になって、神と人に対して罪を犯してしまう者であるが、神はそんな私たちを切り捨てようとはなさらず、御子をお遣わしになって、切れそうになる関係を修復して」くださっているのである。だから、神と私たちの命の関係は永遠に続くのである。

主日礼拝説教<要 旨> 2013年11月10日  山本 清牧師 

 聖  書:ルカによる福音書 20:27−38 説教題:「生きている者の神」 説教リストに戻る