「神の国は、見える形では来ない。『ここにある』『そこにある』と言えるものでもない。実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ」
                         (ルカによる福音書172021 

 社会の現実や身の回りの困難な状況、教会の現状などを見ていると、「神の国(神の支配)はいつ来るのかと尋ねたくなるのは、ファリサイ派の人々や弟子たちばかりではなく、私たちも同じ問いをぶっつけたくなる。これに大して主イエスは標記のように言われた。神の国は主イエスが地上に来られ、礼拝において御言葉を私たちに語ってくださる時に、既に始まっているということなのである。
 主は続けて、人の子の日を一日だけでも見たいと望む時が来ると、弟子たちが主イエスの再臨を待ち望むあまり、特別な人を英雄視したり、神に次ぐ者のように扱うようになると警告された。そして、人の子はまず必ず、多くの苦しみを受け、今の時代の者たちから排斥されることになっていると、御自身の十字架を予告されて、そこにこそ神の国(神の愛による御支配)が始まることを告げられた。
 また、「人の子の現れる日」、即ち、主イエスの再臨の日について、ノアの物語とソドムの滅亡の例を挙げながら、その日になって、決断が遅れて永遠の滅びに落ち込むことがないように警告され、自分の命を生かそうと努める者はそれを失い、それを失う者は、かえって保つのであると言われた。つまり、私たちの命や人生を、自分のために用いるのではなくて、主との関係において生かすことにこそ、神の国に生きることであることを教えられたのである。
 最後に主は、再臨の日には、表面的には同じように見えている生活でも、自分の命を主のために生かそうとしているかどうかによって、厳しく仕分けられることを述べられた。死体のある所には、はげ鷹も集まる」とは、はげ鷹が動物の死体を見逃さないように、神も死に至る者を見逃されないという厳しい言葉である。主イエスはこのように、再臨の日の厳しい審きについて語られることによって、私たちが自分の危機に気付くチャンスを与えておられるのである。

主日礼拝説教<要 旨> 2013年11月3日  山本 清牧師 

 聖  書:ルカによる福音書 17:20−37 説教題:「イエスが現れる日」 説教リストに戻る