神の力強い御手の下で自分を低くしなさい。そうすれば、かの時には高めていただけます。思い煩いは、何もかも神にお任せしなさい。神が、あなたがたのことを心にかけていてくださるからです。
                       (ペトロの手紙一 5:67 

 ペトロの手紙一5章では、「長老たち」と「若い人たち」への勧めが記されている。ここで「長老」というのは、今の長老主義教会での長老ではなく、長く教会に仕えて、指導的な役割を果たしている人たちのことで、「キリストの受難の証人」と言っている。その意味は、単にキリストの御受難の様子を伝えるということではなく、自分自身が主の十字架によって罪から救われたという赦しの出来事を語ることである。これは牧師や委員に限らず、キリスト者すべてに与えられる使命であろう。
 次にペトロは、「神の羊の群れを牧しなさい」と勧めるが、どのようにして教会の羊たちを養うのかと言えば、「キリストの受難の証言」によって、即ち、「神の言葉=福音」によって、ということになろう。その際に、具体的な三つの心得が述べられている。
 第一は、「強制されてではなく、神に従って、自ら進んで世話しなさい」と言われているように、羊たちを神からゆだねられた、その信頼に応えて、喜んで世話をするということである。
 第二は、「卑しい利得のためではなく献身的にしなさい」とある。私たちは金銭的な利得を得ようとは思わないかもしれないが、自分が誉められたり称賛されることを求めがちだが、そのことを戒められている。
 第三は、「権威を振り回してもいけません。むしろ、群れの模範になりなさい」と言う。「模範になる」とは、立派なことをして羊たちを感心させるということではなく、弱さと罪の中にある自分が、主の恵みを受けて喜んでいる様子が、羊たちへの証しになるということであろう。
 次に、「若い人たち」、即ち、信徒になって日が浅い人や求道中の人びとに対しては、「皆互いに謙遜を身につけなさい」、また、標記のように、「自分を低くしなさい」と勧める。「謙遜」とは、自分を低く見せるというようなことではなく、自分の低さ、愚かさ、罪深さを自覚するということである。「思い煩い」というのは、自分が神と人に対して低くなっていない時に出て来るものである。だから、問題を自分で解決しようとするのでなく、「あなたがたのことを心にかけていてくださる」神にお任せするとき、喜びと平安に満ちた生き方へと導かれるのである。そのような者をこそ、「かの時」に高めてくださるのだ。

主日礼拝説教<要 旨> 2013年10月20日  山本 清牧師 

 聖  書:ペトロの手紙一 5:1−7 説教題:「神の羊の群れ」 説教リストに戻る