そこで、イエスは言われた。「清くされたのは十人ではなかったか。ほかの九人はどこにいるのか。この外国人のほかに、神を賛美するために戻って来た者はいないのか。」それから、イエスはその人に言われた。「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」                  (ルカによる福音171719 

 主イエスは、十字架が待っているエルサレムへ向かわれる途中、サマリアとガリラヤの間を通られた。そこには、重い皮膚病を患っているため、両地域から疎外されていた人たちがいた。主は彼らをも十字架の救いに導き入れることを願って、そこを通られたのであろう。
 主が来られたことを知った十人の患者が、声を張り上げて憐みを乞うた。すると主は、彼らをその場で癒されるのではなく、「祭司たちのところへ行って、体を見せなさい」と言われた。当時は、祭司が皮膚病の判定を行うことになっていた(レビ13章)のであるが、その場で癒されなかったのは、彼らの病を癒すだけでなく、信仰を芽生えさせようとされたのであろう。主は私たちにも、このように信仰を促す命令をなさる時がある。
 さて、十人は祭司の所へ向かう途中、病を癒されたのであるが、そのうち一人は神を賛美しながら、すぐに主イエスのもとに戻って来て、主にひれ伏して(=礼拝して)感謝した。彼は主イエスの癒しが神の業に他ならないことを知ったのである。だが、他の九人は祭司のところへ行くことを優先した。そこで主は標記のように言われた。この言葉には、何とか彼らを救って、本当の信仰へと導きたいとの強い思いが込められている。
 一方、戻って来た一人のサマリア人(ユダヤ人からは信仰を失ったと見なされていた)に対しては、「あなたの信仰があなたを救った」と言われた。「救った」というのは、ただ病が癒されたという意味ではない。罪から救い出され、死すべき者が新しい命へと甦ったという宣言である。そのような救いへと導かれたのは、主イエスの憐みと力によるのであるが、驚くべきことに主は、「あなたの信仰があなたを救った」と見なしておられる。主は私たちの賛美と感謝の礼拝をそのように見なしてくださるということである。
 主はまた、「立ち上がって、行きなさい」とも言われた。そのまま主イエスのところに留まるのではなく、出て行く先々で、神を賛美し感謝の礼拝を捧げる証しの生活を続けることへと導かれたのである。私たちも神から多くの恵みを受けているのだから、そのことを賛美し感謝する礼拝を行うと共に、そこから世に出て行って主を証しする者とされたい。

主日礼拝説教<要 旨> 2013年10月13日  山本 清牧師 

 聖  書:ルカによる福音書17:11−19 説教題:「賛美と感謝の信仰」 説教リストに戻る