「主人は、この不正な管理人の抜け目のないやり方をほめた。この世の子らは、自分の仲間に対して、光の子らよりも賢くふるまっている。」                 (ルカによる福音書168 

 主イエスは弟子たちに「不正な管理人」の譬えを話された。ある金持ちの財産を管理している者が、主人の財産を無駄遣いしていることを怪しまれ、主人から会計報告を出すように言われた。そこで管理人は、仕事を辞めさせられる時のことを考えて、主人から借りのある者たちを呼んで、証文に書かれた借り入れの量を少なく書き直しさせて恩義を売って、自分が辞めさせられた時に迎えてもらえるように計った。ところが主人は標記のように、この管理人の抜け目のないやり方をほめたというのである。 
 この金持ちの主人とは神のことであり、管理人というのは弟子たちや私たちのことである。私たちは神から多くの賜物を預かっていて、それを活かして用いることを求められているという点で、神の富の管理人である。では、この不正な管理人のどこを学べと言われるのだろうか。
 第一は、この管理人には明確な危機感があったという点である。私たちは終りの日に主の前に出て、自分の生涯の申し開きをしなければならないのだが、そのことを、切迫感をもって捉えて生きているのかが問われる。
 第二は、この管理人は、今与えられている自分の立場を最大限に活かしている。彼の不正を見倣えということではないが、この管理人が今自分に出来ることを実行したところに賢さがある。私たちは神から多くの賜物を与えられているのに、それを活かし切っていないのではないか。
 第三は、不正な管理人は、主人に借りがあるような、困っている人たちを助けた。私たちは神から預かった賜物を、救いを必要としている隣人のために活用しているかどうかが問われる。
 主イエスは、譬えに続いて、「ごく小さな事に忠実な者は、大きな事にも忠実である」と言われた。「小さな事」とはこの世の富であり、「大きな事」とは神の国の事である。神から預かっているこの世の賜物を忠実に活かして、神の国に入る備えをせよということである。最後に主は、「あなたがたは神と富とに仕えることはできない」と言われた。この世における豊かさが最終目的ではなく、この世の富を活かして神の国に備えることが、抜け目のない賢い生き方なのである。

主日礼拝説教<要 旨> 2013年9月29日  山本 清牧師 

 聖  書:ルカによる福音書16:1−13 説教題:「神の富の管理人」 説教リストに戻る