あなたがたはそれぞれ、賜物を授かっているのですから、神のさまざまな恵みの善い管理者として、その賜物を生かして互いに仕えなさい。                    (ペトロの手紙一410 

 ペトロは、「万物の終わりが迫って」いて、その時には「生きている者と死んだ者とを裁こうとしておられる方に、申し開きをしなければなりません」と警告しつつ、信仰を与えられた者は、「罪とのかかわりを絶った者」として、「もはや人間の欲望にではなく神の御心に従って、肉における残りの生涯を生きるように」と勧めている。だが、そのような生き方を貫くためには、周囲の人々の無理解や反発と戦わねばならないし、何よりも自分自身と戦わねばならない。
 そのような信仰の戦いにおいて立ち戻るべき原点について、ペトロは「キリストは肉に苦しみをお受けになったのですから、あなたがたも同じ心構えで武装しなさい」と言う。「肉」とは、人間の罪深さを指す。主イエスは、人間の罪深さを背負って、十字架の苦しみを受けられた。この主イエスと同じ心構え(覚悟)で戦うなら、主イエスの勝利が私たちにも与えられるということである。
 更にペトロは、信仰者の生き方について、具体的な勧めを語る。
@「思慮深くふるまい、身を慎んで、よく祈りなさい。」――これは、事態を冷静に受け止め、分別と責任ある行動をせよということであり、そのためには、神の御心を問う祈りが欠かせない。
A「心を込めて愛し合いなさい。愛は多くの罪を覆うからです。不平を言わずにもてなし合いなさい。」――私たちは人との交わりの中で、互いに罪を犯してしまう。そのときに、相手を批難するのでなく罪を覆う(赦す)ことによって終わりの日の裁きにおいて主に申し開きができるのだ。
B「あなたがたはそれぞれ、賜物を授かっているのですから、神のさまざまな恵みの管理者として、その賜物を生かして互いに仕え合いなさい。」――「恵みの賜物」とは、主イエスの十字架によって、一方的に与えられた罪の赦しの恵みのことである。私たちの小さな愛が罪を覆うのではなく、神の大きな愛が私たちの罪も、私たちと不幸な関係に陥っている人の罪をも覆い尽くすのである。
C「語る者は、神の言葉を語るにふさわしく語りなさい。奉仕する人は、神がお与えになった力に応じて奉仕しなさい。」――これは、神の赦しの恵みを語ることである。
 以上のことを行うことによって、「恵みの管理者」として賜物を生かすことが出来るのである。そのとき、私たちもまた、神の栄光をあらわす者とされるのだ。

主日礼拝説教<要 旨> 2013年8月18日  山本 清牧師 

 聖  書:ペトロの手紙一 4:1−11 説教題:「恵みの管理者」   説教リストに戻る