「どんな貪欲にも注意を払い、用心しなさい。有り余るほど物を持っていても、人の命は財産によってどうすることもできないからである。」                             (ルカによる福音書1215 

 群衆の一人が主イエスに、兄弟との財産の分配問題で相談を持ちかけたところ、主は、「だれがわたしを、あなたがたの裁判官や調停人に任命したのか」と言って、相談に乗りことを拒否された。それは、この人にもっと大切なものを与えようとされたからである。そして、標記のように言われた後、一つの譬えを話された。ある金持ちの畑が豊作で、作物をしまっておく場所がない。そこで倉を建て直して、これで安心と思った途端、神が、「愚かな者よ、今夜、お前の命は取り上げられる」と言われた、という話である。この金持ちのしたことは、将来のために備える賢明なことのように思える。だが主は、「貪欲」で「愚か者」だとされる。主はこの譬えをもって、財産や地位や名誉といった地上の富を多く手にして安心するよりも、もっと大切な命があるのではないかと問いかけ、自分のことだけを考えて、神や隣人のことを考えない生き方の愚かさを指摘されたのだ。
 主イエスは最後に、「自分のために富を積んでも、神の前に豊かにならない者はこのとおりだ」と言っておられる。「神の前に豊かになる」とは、神を豊かにする、神の栄光を輝かすという意味もあるが、考えてみると、私たちが神を輝かせたり、豊かにすることはできない。ここで主はむしろ、私たちが神の前で豊かにされることを言っておられるのだ。その豊かさとは、物質的な財産とか、この世で誇り得る力や地位や名誉を確保する豊かさではなくて、迷い出た一匹の羊が羊飼いの命がけの捜索で見つけ出され、喜んで連れ戻されるように、自分のことだけを考えて神の許から離れ去っていた私たちが、御許に連れ戻され、永遠の命に生き返らせていただく豊かさのことではないか。主イエスは、御自身という神の大きな富を十字架の上に献げて、私たちを新しい命に生き返らせてくださった。こうして私たちを神の前に豊かな者とならせてくださった。この神を礼拝することこそ、「神の前に豊かになる」ことであり、天に富を積むことなのである。

主日礼拝説教<要 旨> 2013年8月4日  山本 清牧師 

 聖  書:ルカによる福音書 12:13−21 説教題:「神の前に豊かになる」   説教リストに戻る