「しかし、悪霊があなたがたに服従するからといって、喜んではならない。むしろ、あなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい。」                    (ルカによる福音書1020 

 主イエスは十字架の死の時が近づくという切迫した状況の中で、72人の弟子たちを伝道に派遣されるに当たって、「収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい」(2)と言われた。私たちは伝道が進まない現状を嘆くが、切迫感に欠けている。しかし、主の目には豊かな収穫が見えているのだ。だから、早く働き手を送ってもらうように祈ることが緊急の課題なのだ。
 だが、キリスト者が遣わされるのは、「狼の群れに小羊を送り込むようなものだ」(3)とも言われる。現代の日本では、キリスト者に対する目に見える迫害はないが、信仰に生きるという本来の「命」を奪われる危険があることを、主は見抜いておられる。
 そのような状況の中で、キリスト者が遣わされた場でなすべきことは、「この家に平和があるように」(5)と願うことだと言われる。「平和」とは、ただ争いがないことを意味するのではなく、罪からの救いが実現し、神との間に和解が成立することである。だから、「神の国はあなたがたに近づいた」(9)と述べるように命じられる。
 けれども、そのような福音を受け入れず、悔い改めない人々もいる。そのような場合には、「足についた町の埃さえも払い落として」(11)出て行くようにも命じられる。だが、「しかし、神の国が近づいたことを知れ」(11)とも言っておられる。信仰を持つに至る人が少ないように見えても、神の国が近づき、神の支配が始まっているという現実は厳然とそこにあるということだ。神は忍耐をもって、悔い改めを待っておられる。
 派遣先から戻って来た弟子たちは、主の御名前を使うと、悪霊さえも屈服したことに驚き、喜びながら帰って来た(17)。悪霊が屈服したのは、弟子たちに力がついたのではなく、主から預かった権威によるのだ。だから主は、喜んでいる弟子たちに、標記のように言われる。私たちが本来喜ぶべきことは、私たちが既に罪を赦され、神の国の一員とされ、天に名が記されていることなのである。私たちの国籍は天にある。

主日礼拝説教<要 旨> 2013年7月7日  山本 清牧師 

 聖  書:ルカによる福音書10:1−20 説教題:「神の国は近づいた」   説教リストに戻る