「この人が多くの罪を赦されたことは、わたしに示した愛の大きさで分かる。赦されることの少ない者は、愛することも少ない。」
               (ルカによる福音書
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 主イエスがファリサイ派のシモンの家に招かれて食事の席に着いておられると、罪深い女として知られていた女が入って来て、主の足もとに近寄り、女の涙でぬれた主の足を自分の髪でぬぐい、主の足に接吻して香油を塗った。それは場違いな異常な行為であった。主がその女の行為を受け入れておられるのを見たシモンは、心の中で「この人がもし預言者なら、自分に触れている女が罪深い女であることが分かるはずだ」と批判した。
 すると主はシモンに、<ある金貸しから、一人は五百デナリオン、もう一人は五十デナリオンを借りたが、二人に返す金がなかったので、金貸しは両方の借金を帳消しにした>という話をされて、「二人のうち、どちらが多くその金貸しを愛するだろうか」と問われた。シモンは、なぜそんな話を自分にされたのかが分からないまま、「額の多い方だと思います」と答える。すると主イエスは、女を振り向きつつ、「この人を見ないか」と言われ、主がこの家に入って来た時のシモンの対応の仕方と女の行為を比較して語られた上で、標記のように言われた。主は、この女が大きな罪を赦されたことを感謝しているので、主イエスに対して大きな愛を捧げることが出来たのだということを分からせると共に、シモンが他人を批判するけど、愛に欠けていることを気付かせようとなさったのである。主イエスは私たちに対しても、「この人を見ないか」と呼びかけて、自らの罪に気付き、罪の赦しの恵みに感謝することへと招いておられるのではないか。
 この後、主は女に改めて「あなたの罪は赦された」と宣言され、「あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい」と言われた。女はその後、どこへ行ったであろうか。主イエスに従った女たち(813参照)の一人になった可能性が高い。教会は、罪を赦された者の共同体である。私たちの教会も、罪人を受け入れてキリストの赦しに導くことのできる「赦しの共同体」でありたい。

主日礼拝説教<要 旨> 2013年6月16日  山本 清牧師 

 聖  書:ルカによる福音書7:36−8:3 説教題:「多く赦された者」   説教リストに戻る