「主よ、御足労には及びません。わたしはあなたを自分の屋根の下にお迎えできるような者ではありません。・・・ひと言おっしゃってください。そして、わたしの僕をいやしてください。」
                
(ルカによる福音書767

 主イエスは「異邦人の地」と呼ばれるガリラヤ地方での伝道と弟子の訓練を目的にカファルナウムの町に入られた。当地に駐屯していたある百人隊長は、異邦人であるがユダヤ教の会堂に出入りしており、会堂の建設にも貢献した人で、長老たちとも懇意にしていたらしい。彼の大切な部下(僕)が病気で死にかかっていたが、主イエスが当地に来られたことを知って、長老たちを使いにやって、部下を助けに来てほしいと頼んだ。すると主イエスはすぐに応じて、長老たちと一緒に出かけられた。異邦人の家に入ることは律法で禁じられていたが、主は律法の枠を越えて、百人隊長の切なる願いに応じようとされたのである。
 ところが、主が百人隊長の家からほど遠からぬ所まで来られた時、百人隊長は自分のような者が安易に主を迎えようとした誤りに気付いて、使いをやって、標記のように、主イエスからひと言いただければ僕の病気も癒えるとの<御言葉の権威>への確信を伝えた。主イエスはこれを聞いて感心され(原文:驚かれ)、「イスラエルの中でさえ、わたしはこれほどの信仰を見たことがない」と言われた。
 なぜ百人隊長は自らの過ちに気付き、主が来られることを断り、主を感心させるほどの信仰に至ったのか。かつて主が漁師のペトロに「網を降ろして、漁をしなさい」と言われたとき、「お言葉ですから」と半信半疑で網を降ろすと、おびただしい魚がかかって、驚いたペトロが「主よ、わたしから離れてください」と言ったことに通じる。百人隊長も最初は主イエスに対して一定の期待は持ちつつも、半信半疑であったのだろう。だが、主イエスが自分の方に向かって近づいて来られたという現実を前にして、主の権威に目覚めさせられたのである。
 この出来事を通して、百人隊長の人柄や信仰に感心するのもよい。だが、この出来事全体の主役は百人隊長ではなく、主イエスである。主が異邦人にも救いが及ぶことを願われ、律法を越える行動を起こされたことが、百人隊長の信仰を創り出し、成長させられたことを見落としてはならない。主イエスは、この時と同じように、罪深い私たちのためにわざわざ礼拝の場に聖霊において来て下さり、私たちの中にも<御言葉の権威>への信仰を創り出して下さるのである。

主日礼拝説教<要 旨> 2013年6月2日  山本 清牧師 

 聖  書:ルカによる福音書7:1−10 説教題:「主が感心された信仰」   説教リストに戻る