「主はシオンに火を/エルサレムに炉を持っておられる。」
                                (イザヤ書319

 南王国ユダのヒゼキヤ王をはじめ指導者たちは北の大国アッシリアが圧力を強める状況下で、西の大国エジプトと同盟を結び、その戦力に頼ろうとしていた。その中で、預言者イザヤは先に「お前たちは立ち帰って静かにしているならば救われる。安らかに信頼していることにこそ力がある」(30:15)と語っていたが、ここでは、「災いだ」と告げ、「主が御手を伸ばされると、助けを与える者(エジプト)はつまずき、助けを受けている者(ユダ)は倒れ、皆共に滅びる」(3)と徹底的な裁きを語っている。
 しかし、イザヤは一方で、「翼を広げた鳩のように/万軍の主はエルサレムの上にあって守られる」(5)と語り、「あなたたちが背き続けてきた方に立ち帰れ」(6)と悔い改めを勧め、「アッシリアは倒れる/人間のものではない剣によって」(8)、「岩ですら恐れのゆえにその場から動き/その長たちは旗を捨てて逃げ去る」(9)との幻を語る。主の御心は、不従順で神を信頼しない民を滅ぼし尽くすことにあるのではない。私たちに求められるのは、どんな時にも悔い改めて神に立ち帰ること、そして主に選ばれて主の「秘められた計画」(ロマ11:25)の許にある主の民として生きることである。
 イザヤは最後に標記のように語っている。「火」と「炉」は聖書の中では多くの場合、神の怒りや裁きを表わしている。主イエスも「呪われた者ども、わたしから離れ去り、悪魔とその手下のために用意してある永遠の火に入れ」(マタイ25:41)との厳しい言葉を語っておられる。だが一方、「火」や「炉」は神殿の祭壇の上で燃え続ける火と生贄のための炉のことを指して用いられることがある。シオンとエルサレムは神殿を指し、そこでは「火」と「炉」が燃え続けるというのである。そのエルサレムにおいて、主イエスの十字架の生贄が献げられることになる。私たちは、この御言葉から、私たちの信仰の有り様に対する厳しい裁きと共に、主が備えて下さった十字架の救いの御業による罪の赦しを聴き取ることが許されるのではないだろうか。

主日礼拝説教<要 旨> 2013年5月26日  山本 清牧師 

 聖  書:イザヤ書31:1−9 説教題:「主はシオンに火を」   説教リストに戻る