「お前たちは、立ち帰って 静かにしているならば救われる。安らかに信頼していることにこそ力がある。」   (イザヤ書3015 

 北王国イスラエルがアッシリアに滅ぼされ、南王国ユダにもアッシリアの圧力が強まる中で、ユダのヒゼキヤ王は西の大国エジプトと同盟を結んで、アッシリアに抵抗しようとしていたが、預言者イザヤは、「彼ら(ユダの指導者たち)はわたしの託宣(神の言葉)を求めず、エジプトに下って行き、ファラオ(エジプト王)の砦に難を避け、エジプトの陰に身を寄せることは辱めとなる」(3023)と警告した。私たちも、伝道が困難な状況や、人生において大きな重荷を背負って、先に光が見えない閉塞状態に陥ると、主の前に出て御言葉を聴くことを忘れて、この世的な知恵や強そうに見える力に頼ろうとしてしまう。
 だが、イザヤは閉塞状況から救われるために聴くべき神の言葉を標記のように伝えた。ここでは、新しい場所に出て行くのではなく、まず悔い改めて神の許に立ち帰って、静まって、主への信頼のうちに己の身を浸し切ることこそ、閉塞状況を打開する神の力が働くと語られている。
 更にイザヤは語る。「主は恵みを与えようとして、あなたたちを待ち、それゆえ、主は憐れみを与えようとして、立ち上がられる。まことに、主は正義の神。なんと幸いなことか、すべて主を待ち望む人は」(18)と。私たちは主の助けを待ちきれずに、「速い馬に乗ろう」(16)とするが、主は恵みを与えようとして、あの放蕩息子の父親(ルカ151124)のように私たちが悔い改めて戻って来るのを待っておられるのだ。「主は正義の神」であるから、罪を放置されず、厳しく裁かれるお方であるが、同時に憐れみのお方でもあり、赦しのお方でもある。それゆえ、御子イエス・キリストを私たちの代わりに裁き給うた。だから、「エルサレムに住む者よ、もはや泣くことはない」と言われる。主の十字架の救いの御業に立ち帰る者には困難な状況も悲しみの原因にはならない。「主はあなたの呼ぶ声に答えて、必ず恵みを与えられる。」19)そして、「これが行くべき道だ、ここを歩け」(21)と進むべき道を備えて下さるのである。

礼拝説教<要 旨> 2013年4月28日  山本 清牧師 

 聖  書:イザヤ書30:1−33 説教題:「信頼こそ力」   説教リストに戻る