同じように、妻たちよ、自分の夫に従いなさい。夫が御言葉を信じない人であっても、妻の無言の行いによって信仰に導かれるようになるためです。神を畏れるあなたがたの純真な生活を見るからです。・・・
 同じように、夫たちよ、妻を自分よりも弱いものだとわきまえて生活を共にし、命のめぐみを共に受け継ぐ者として尊敬しなさい。

                            (ペトロの手紙一3127 

 妻や夫への勧告を行うに当たって、統治者に服従し、召し使いが主人に従うのと「同じように」、互いに相手を尊敬し仕え合うことを求めている。それは、そのことが夫婦円満の秘訣だからではない。標記に述べられているように、夫が妻の「神を畏れる純真な生活」を見て、信仰に導かれる(信仰に立ち帰る)ためであり、「命の恵みを共に受け継ぐ」ためである。
 現代の感覚では、夫と妻は対等であり、互いに相手から自由になる権利があるのではないかと考えてしまう。しかし、大切なのは人間の権利ではなく、神が二人を結び合わされた御心・御計画である。だから、召し使いが、善良で寛大な主人だけでなく、無慈悲な主人をも敬って、苦痛を耐え忍ばねばならないのと同じように、妻は夫による不当な苦しみにも耐えなければならない。それは、キリストの模範に倣うことになり、その無言の行いによってキリストを指し示すことになると言う。もっとも、神を畏れる生活さえ維持できなくなるような限界状況もあり得るだろうが、お互いの性格・感情・利害・労苦の不一致が二人を引き離す理由にはならないということである。同じように、夫も妻に従うべきであって、夫が妻を支配することは許されず、妻の肉体的・精神的な弱さを十分にわきまえて、自分の思いを控えて、辛いことも耐え忍ぶべきなのである。
 両者に対する勧告は、「そうすれば、あなたがたの祈りが妨げられることはありません」という言葉で締めくくられている。夫婦の関係が悪くなると、一緒に祈ることが出来ないばかりか、一人で祈ることさえ妨げられる。それは、自分の過ちを棚に上げて、悔い改めの祈りが忘れられるからである。神を畏れるという原則に立ち帰るならば、自分自身の問題性に気づいて、祈りが回復され、相手を尊敬し、いたわる思いも出て来るだろう。それが(永遠の)命の恵みを共に受け継ぐことにつながる。
 ここで夫婦に関して勧められていることは、全ての人間関係についても当てはめることが出来るだろう。

礼拝説教<要 旨> 2013年4月21日  山本 清牧師 

 聖  書:ペトロの手紙一 3:1−7 説教題:「神を畏れる生活」   説教リストに戻る