食事が終わると、イエスはシモン・ペトロに、「ヨハネの子シモン、この人たち以上にわたしを愛しているか」と言われた。ペトロが、「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」と言うと、イエスは、「わたしの小羊を飼いなさい」と言われた。
                          (ヨハネによる福音書2115 

 復活された主イエスは、最初に女の弟子に現れ、その後、弟子たちが集まっている所に2回現れて、十字架の傷跡をお見せになったので、彼らは主イエスの復活を確信することができた。だが、ペトロたちは、すぐに復活のことを人々に宣べ伝えるのではなくて、故郷のガリラヤに戻って、昔のように漁をはじめた。それは、主イエスがガリラヤへ行くようにと指示されていたことや、これからどのような活動をすればよいのか分からなかったということもあろうが、それだけではなく、ペトロたちが主イエスを裏切ってしまったという罪の意識から解放されず、心の清算が出来ていなかったからではなかろうか。
 それから何日か経って、弟子たちが魚を獲れずに戻って来たとき、そこに主イエスが現れて、かつてペトロが「人間を獲る漁師」として召された時と同じように、主の言葉に従って網を打つと、大量の魚が獲れた上、主は朝食の用意もしておられた。こうして、ペトロは弟子とされた原点に引き戻されたのである。
 その上で、食事の後、主イエスは表記のように問われた。ペトロは自分の弱さ、愛の足りなかったことを思わざるを得なかったが、そのような者をも赦して、もう一度立ち直らせようとされる主の愛の御心を知らされ、ペトロの中に主のために仕える愛が甦らされるのを覚えるのであった。その愛の確かさは、ペトロの気持ちの高ぶりや、決心の中にあるのではなく、主イエスの愛の中にある。そこでペトロは、「わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存知です」と答えるほかない。すると主イエスは、「わたしの小羊を飼いなさい」と、もう一度弟子として用いようとされる。このあと、同じような問答が三度繰り返されることで、ペトロの三度の否認の罪が赦されることが確実とされる。
 私たちも、不信仰で自分のことが大事で、主を置き去りにしてしまう者であるが、そのような者をも主は放って置かず、追いかけて来て出会って下さり、立ち直らせて下さる。礼拝は、そのような愛と赦しの主イエスとの出会いの場なのである。 

礼拝説教<要 旨> 2013年4月14日  山本 清牧師 

 聖  書:ヨハネ21:1−25 説教題:「わたしを愛しているか」   説教リストに戻る