イエスは大声で叫ばれた。「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます。」こう言って息を引き取られた。  (ルカによる福音書2346  

 聖書によれば、主イエスは十字架上で七つの言葉を語られたが、その最後が標記の言葉である。十字架は大きな肉体的苦痛を科す刑罰であるとともに、人々から侮辱を受けて捨てられるという大きな精神的苦痛を伴うものであるが、主イエスの場合は更に、何の罪もないのに神から捨てられるという霊的な苦痛を受けねばならなかった。だが、主イエスは最後まで父なる神に対する絶大な信頼をもって死に向かわれたことが、この祈りから分かる。これは詩編31編の一節であるが、31編全体が主イエスの御心を示している。そして、この祈りの前後に起こったことは、この主イエスの堅い信頼が何をもたらすかを示している。
 第一に、全地が暗くなり、太陽は光を失った。これは偶然の自然現象ではない。世界は「光あれ」との神の言葉によって創造されたのだが、人々が「世の光」である主イエスを受け入れなかったために、光を失い、闇が忍び寄って来ることを示している。だが、光が闇に敗北するのではない。主イエスが信頼を貫かれたことによって、再び闇の世界に新しい光が輝き始めるのである。
 第二に、神殿の垂れ幕が真ん中から裂けた。垂れ幕で仕切られた至聖所には、大祭司が年に一度だけ人々の罪を贖う動物の血を携えて入ることができるだけであったが、今や、動物の犠牲による贖いが終わり、主イエスの十字架の贖いによって、罪人も神のもとに近づくことの出来る道が開かれたのである。
 第三に、異邦人の百人隊長が主イエスの十字架の死を見て、「本当に、この人は正しい人だった」と言って、神を賛美した。「正しい人」と言ったのは、律法を犯さない人という意味よりも、主イエスの祈りから神との信頼関係の深さを聴き取ったのであろう。
 第四に、群衆もこれらの出来事を見て胸を打った。彼らは詩編31編全体を思い起こして、父なる神に対する主イエスの信頼の堅さに胸を打ったのであろう。
 最後に、イエスを知っていた人たちと婦人たちとが遠くに立って、これらのことを見ていたと記されている。この時点では、彼らに十字架の死の意味が分かったわけではなく、「遠くに立って」見ていたに過ぎないが、やがてこの人たちは復活の主と出会い、十字架の出来事を人々に証しする者とされる。主イエスは私たちをも、父なる神との信頼関係の中へ引き込もうとしておられるのである。

米子伝道所 主日礼拝説教<要 旨> 2013年3月24日  山本 清牧師 

 聖  書:ルカ23:44−49 説教題:「正しい人の死」   説教リストに戻る