「わたしはあなたのために、信仰が無くならないように祈った。」
                                (ルカによる福音書2232 

 主イエスを十字架につけようとする人たちが、主を陥れる機会を狙っているという緊迫した状況の中で、十二弟子たちは、自分たちのうちでだれがいちばん偉いだろうかという議論をしていた。彼らは、主イエスのことよりも、自分の立場のこと、自分が人々からどう評価されるかに関心があったのだ。ここに、私たちの信仰の弱さと罪の姿を見ることができる。
 そんな弟子たちに対して、主イエスは、「サタンはあなたがたを、小麦のようにふるいにかけることを神に願って聞き入れられた」と告げられた。神はサタンが私たちの信仰を試みることを許されることがあるのだ。けれども、主イエスは続けて、標記のように言われた。主はペトロたちの信仰の危うさを見通して、彼らのために祈っておられるのだ。「祈る」とは、神と向き合うことであり、そこにはサタンとの激しい戦いがある。主は、弱い私たちに代わって、荒野でサタンの試みと戦って下さったし、今、十字架にお架かりになることによって、私たちを罪から救い出そうとされているのである。
 だが、ペトロは、そんな主イエスの御心を理解せずに、「主よ、御一緒になら、牢に入っても死んでもよいと覚悟しております」と強がりを言う。自分を過信し、信仰の弱さに気付いていないのだ。すると主は、「言っておくが、あなたは今日、鶏が鳴くまでに、三度わたしを知らないと言うだろう」との厳しい予告をなさった。だが、これがペトロの本当の姿であることが、一日も経たないうちに明らかになってしまうのである。
 しかし、この主イエスの言葉は単なる審きの言葉ではなく、その裏には、標記のような主イエスの祈りがある。主は続けて、「立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい」とも言われている。主は御自分の十字架の犠牲によって、ペトロをもう一度立ち直らせようとしておられるのだ。この主の愛があったので、ペトロは主イエスの復活後、立ち直って、主の弟子としてもう一度仕えていくことができた。主は私たちの信仰の弱さについても、祈りつつ、サタンと戦っていて下さることを、この受難節に覚えたいと思う。

米子伝道所 主日礼拝説教<要 旨> 2013年3月10日  山本 清牧師 

 聖  書:ルカ22:31−34 説教題:「信仰が無くならないように」   説教リストに戻る