イエスは言われた。「それならば、皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。」         (ルカによる福音書2025

 主イエスが「ぶどう園と農夫」の譬えによって、当時のイスラエルで権威を誇っていた祭司長や律法学者たちの問題点を明らかにされると、彼らは主イエスの言葉じりをとらえて、ローマ総督に引き渡そうと、機会を狙っていた。私たちは彼らのように主イエスに悪意を抱いて陥れようとするわけではないが、彼らの偽善的で自分たちの立場を守ろうとする姿の中に私たちの罪の姿を見ることができるのではないか。私たちも信仰生活において、良い格好をしたり、綺麗ごとを言って表面を繕うことがあるし、主イエスが私たちの生活に深く関わって来られて、それまでの生活の変更を求められたり、自由が束縛されることを避けたいと思って、主イエスを疎しく思うことがあるのではないか。
 彼らは、回し者を主イエスのもとに送って、「わたしたちが皇帝に税金を納めるのは、律法に適っているでしょうか、適っていないでしょうか」との巧妙な質問をした。否定的に答えれば皇帝への反逆罪で訴えることが出来るし、肯定的に答えれば、皇帝の支配に反感を持っているユダヤ人の人気を失うことになる。しかし、主イエスは彼らのたくらみを見抜いて、「デナリオン銀貨にだれの肖像と銘があるか」と問われた。そこにはローマ皇帝の肖像と銘が刻まれていた。それは、ユダヤ人たちの生活がローマの支配のもとで成り立っていることを示していた。そこで主は、「皇帝のものは皇帝に」と言われた。しかし、それに続けて、「神のものは神に返しなさい」と言われる。皇帝といえども、神からこの世の権力の一部を預かっているに過ぎない。真の権威者は神であり、地上の権威は神からの預かりものに過ぎない。私たちの命も、体も、持ち物も、能力も皆、神のものである。だから、それらを神のために用いてこそ、お返し出来るのだ。
 回し者らは主イエスのことを「真理に基づいて神の道を教えておられる」と言った。これは偽善的な言葉であるが、主の真実の姿を言い当てている。主はこのとき、神の御心に従って、自分を捨てて十字架の道を歩んでおられた。主イエスこそ「神のものを神に返す」ことを実行しておられた。私たちは自分の力では神の道を歩むことは出来ないが、主イエスが代わって神に返すべきものを返して下さったので、私たちは諸々の地上の諸力からも、偽善の罪からも自由にされ、神のもとへ返されたのである。

米子伝道所 主日礼拝説教<要 旨> 2013年3月3日  山本 清牧師 

 聖  書:ルカ20:20−26 説教題:「神のものは神に」   説教リストに戻る