弟子たちはひそかに、「なぜ、わたしたちはあの霊を追い出せなかったのでしょうか」と尋ねた。イエスは、「この種のものは、祈りによらなければ決して追い出すことはできないのだ」と言われた。
                         (マルコによる福音書92829   主イエスが三人の弟子と高い山に登っておられる間に、ある人が残った弟子たちのところに汚れた霊に取りつかれた息子を連れてきて、霊を追い出してもらうよう頼んだのだが、できなかった。その人が、山から降りてきた主イエスにそのことを訴えると、主は「なんと信仰のない時代なのか」と言って、弟子たちの不信仰を嘆かれた。
 私たちキリスト者の周りにも、癒されず、解決できない問題で苦しんでいる人が多いが、それに対して何の解決も与えることができず、教会が必ずしも救いとなっていない現実がある。どこに問題があるのか。それは、私たちの不信仰である。
 主イエスが息子を連れて来させると、霊がその子を引きつけさせた。父親は遠慮がちに「おできになるなら、わたしどもを憐れんでお助けください」と言うと、主は「『できれば』と言うか。信じる者には何でもできる」と言われた。ここで「信じる者」とは主イエスのことだと理解できるが、それだけでなく、「主イエスを信じる者には何でもできる」ということも含まれているのではないか。主を信じる者には大きな可能性が開かれるのだ。父親はすぐに、「信じます。信仰のないわたしをお助けください」と叫ぶ。主イエスが汚れた霊を叱って追い出されると、その子は死んだようになったが、主が手を取って起こされると立ち上がった。新しい命が与えられたのである。
 このあと、弟子たちと主イエスの間で、標記のような会話があった。主は弟子たちに祈りが不足していることを指摘された。これは私たちにも当てはまることであろう。では、祈りの機会を増やせば、問題は解決するのだろうか。必要なのは、父親が叫んだ「信じます。信仰のないわたしを助けてください」という祈りである。この祈りが真剣になされるなら、必ず信仰が与えられ、問題は解決され、喜びに満たされるのである。

米子伝道所 主日礼拝説教<要 旨> 2013年2月17日  山本 清牧師 

 聖  書:マルコ9:14−29 説教題:「祈りによらなければ」   説教リストに戻る