「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない。」
                            (マルコによる福音書650 

 五つのパンと二匹の魚で五千人以上の人が満腹した出来事によって、人々の期待が膨らみ、主イエスを王に仕立てようとする動きが出てきた。だが、それは主の望まれるところではない。そこで主は、弟子たちを強いて舟に乗せて向こう岸へ先に出発させ、御自分は群衆を解散させてから、神の御心を確かめるために、山へ行って祈られた。
 夕方になって、弟子たちの舟が湖の真ん中で逆風のために漕ぎ悩んでいるのを陸地から見ておられた主イエスは、夜が明けるころ、湖の上を歩いて弟子たちのところへ行かれた。主は離れた所におられても、弟子たちのことを気遣っておられたのだ。
 ところが、弟子たちは、湖の上を歩いておられる主イエスを見て、幽霊だと思って怯えたのである。まさか、そこに来られるとは思わなかっただろうから、驚いたのも無理はない。このように主は、逆風に悩まされる私たちを見守り、私たちが気づかないうちに、近くに来て下さるのだ。主は、怯えている弟子たちに、標記のように言って、力づけられた。
 こうして、主が舟に乗り込まれると、風は静まったのであるが、聖書によれば、弟子たちは驚きから覚めやらず、この日にあったパンの奇跡の出来事についても理解せず、心が鈍くなっていたと記すのである。彼らは何を理解していなかったのか。ヨハネ福音書によると、パンの奇跡を見た人々が主イエスに期待して追いかけて来るのを御覧になった主が言われた言葉を記す。「朽ちる食べ物のためでなく、いつまでもなくならないで、永遠の命に至る食べ物のために働きなさい。これこそ、人の子があなたがたに与える食べ物である。・・・わたしが命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない」(ヨハネ62735)。そしてやがて、主イエスは十字架の死のことを語られようになる。そして、弟子たちのため、人々のために御自分の体をパンとして与えられることになる。弟子たちはその意味を理解できるようになったのは、主の復活の後のことであった。

米子伝道所 主日礼拝説教<要 旨> 2013年2月10日  山本 清牧師 

 聖  書:マルコ6:45−52 説教題:「安心しなさい」         説教リストに戻る