「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。」 
                
(ルカによる福音書135 

 天使ガブリエルがダビデ家のヨセフのいいなずけであるマリアのところに遣わされて、男の子を産むことを告げた。それは、神がかつて「ダビデの王国の王座をとこしえに堅く据える」と約束されたことの成就であり、預言者たちを通して約束されていた救い主の誕生を告げるものであった。
 なぜ、マリアなのか。彼女は名もない田舎娘に過ぎない。天使は「恵まれた方。主があなたと共におられる」と言う。神が一方的に選んで彼女と共におられるという恵みを与えられたのであって、彼女の側に相応しい条件があったのではない。
 
しかし、まだ結婚していないのに身ごもると告げられて、マリアは戸惑い、考え込む。婚約者のヨセフに対して説明のつかないことであり、ユダヤの律法によれば姦淫の罪を犯したことになる。その上、「その子は、いと高き方の子(神の子)と言われ、その支配は終わることがない」(3233)とまで言われて、マリアは「どうして、そのようなことがありえましょうか」と言わざるを得なかった。私たちも、この天使の言葉によって、マリアと共に大きな問いの前に立たされる。処女受胎の疑問と共に、神の国がこの時から始まったというのは本当かという問いである。
 このような問いに対して天使は標記のように答えた。神の子の誕生は、生理現象ではなく、人間の善意や努力の結果でもなく、聖霊の働きによるのであり、神が人間を愛される愛の力が、独り子をこの世に遣わし、救いの御業を開始されたのであって、人間の常識や理性を超えたことが始まったのだ。これは信じるしかないことである。
 マリアは「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように」と言って、天使の言葉を受け入れた。これは納得したのではなくて、全てを神に委ねたのである。そこにも聖霊の働きがあったというほかない。マリアの子が救い主になるのかどうかは、主イエスが十字架の上で死なれても証明されることではなく、結局、主イエスの復活によってはじめて神の国の支配者であることがはっきりしたのである。私たちも聖霊の力を受けて、マリアと共に信じる者とされたい。

米子伝道所 主日礼拝説教<要 旨> 2012年12月2日  山本 清牧師 

 聖  書:ルカによる福音書1:26−38 説教題:「いと高き方の力」         説教リストに戻る