「神様が天使を送って獅子の口を閉ざしてくださいましたので、わたしはなんの危害も受けませんでした。」 (ダニエル書 6:23 

 ダニエルはバビロンに捕囚中の身ではあったが、その優れた能力がダレイオス王に認められて、三人の大臣のひとりとして、王国全体を治めさせられていた。しかしそのことを快く思わない大臣や総督たちがダニエルを陥れようと、<王を差し置いて他の人間や神に願い事をする者は、だれであれ獅子の洞窟に投げ込まれる>との禁令を作り、王に署名をさせた。ダニエルはそのような禁令が発布されたことを知ったが、家に帰るといつものとおり、真の神に対して日に三度の祈りと賛美を捧げた。ダニエルの様子を見張っていた役人たちが王に報告すると、王はたいそう悩んだが、法を破るわけに行かず、ダニエルは獅子の洞窟に投げ込まれた。
 この「獅子の洞窟」は今日の私たちにとって何か。一つは、<自分の落ち度ではなく振りかかってくる災難や苦しみ>と捉えることが出来る。何の落ち度もないのに、災害、事故、病気、障害、妬みなどに見舞われることがあるし、キリスト教会に対する妨害や迫害が起こる場合もある。そうした場合に、私たちの信仰が問われることになる。
 また、信仰の危機はそうした逆風の中においてだけではなく、ダニエルが王に用いられていた時のような順風の中でも起こる。私たちの人生の中で恵まれた状態にあるときに、神の助けの必要を感じなくなったり、教会が国家の保護の下で堕落して時流に迎合してしまい、自分たちの問題性が見えなくなる危険性がある。サタンは逆風の中でも、順風においても、私たちを「獅子の洞窟」に陥れようと機会を狙っているのである。
 では、どうすれば、「獅子の洞窟」の危険から脱することが出来るのか。ダニエルのような英雄的な行動が求められるということだろうか。聖書は「ダニエルには優れた霊が宿っていたので」(4節)と記す。弱い私たちにも、神が「優れた霊」即ち、聖霊の助けを送って下さるならば、信仰的な行動を貫くことが出来るだろう。また、標記のように、神は天使を送って、獅子の口を閉ざして下さる。神を信頼している(24節)ならば、たとえ「獅子の洞窟」に落ち込んでも、神はそこから救い出して下さる。
 このダニエルの物語には、主イエスが十字架に架けられたときの経過と似通ったところがある(王とピラトの態度、洞窟と主の墓の封印)。しかし、決定的に異なるのは、主イエスは十字架から解放されることなく、人々の罪を担って死なれて墓に納められた。この死によって、私たちの救いが達成された。こうして、私たちは、滅びることのない「生ける神の僕」(21節)とされたのである。

米子伝道所 主日礼拝説教<要 旨> 2012年11月18日  山本 清牧師 

 聖  書:ダニエル書6:1−29 説教題:「生ける神の僕」         説教リストに戻る