主はかつてエレミヤの口によって約束されたことを成就するため、ペルシア王キュロスの心を動かされた。    (エズラ記11 

 南王国ユダの王をはじめ人々が偶像礼拝をはびこらせたことをお怒りになった神は、バビロンを用いて、エルサレムを陥落させ、バビロン捕囚に至らされたので、ユダの民から礼拝が奪われた。私たちも、自分のことしか考えず、神をないがしろにしているとき、礼拝を失ってしまう。
 だが、神は不信仰な人々を見捨ててしまわれるのではない。預言者エレミヤは、捕囚の民を帰らせるとの「平和の計画」を伝え(エレミヤ291014a)、イザヤも神殿の再建を預言した(イザヤ442428)。そして50年目に、その時が来た。標記のように、神は異教国ペルシアの王であるキュロスの心を動かして、預言者によって語られた約束を成就しようとされるのである。キュロス王は国中に布告を送り、@エルサレムに神殿を再建すること、Aイスラエルの民は誰でも神殿建設のためにエルサレムに上れること、B残る者も神殿建設のために献金することを告げた。こうして、イスラエルの民の「第二の出エジプト」の道が開かれることになった。主はこれと併行して、ユダの民の家長、祭司、レビ人の心をも動かされて、エルサレムへ上らせられる。
 キュロス王がエルサレム神殿の再建のために用いられたことは、はるか後に、イエス・キリストが御自身の十字架の死をもって、形骸化していたエルサレム神殿の宮清めをされ、新しい礼拝共同体(教会)の礼拝として甦らせる日が来ることを指し示している。
 もし私たちの中から本当の礼拝が失われているならば、神はそれを放置されない。パウロは言う。「キリストにおいて、この建物全体は組み合わされて成長し、主における聖なる神殿となります。」(エフェソ221)私たちは、罪深く、信仰がぐらつきやすく、喜びの礼拝は失われそうになる。しかし、その弱い私たちが、イエス・キリストによって用いられて、神の神殿になるというのである。キュロスの心を動かし、ユダの民の心を動かされた神は、私たちの心をも動かして、私たちの礼拝を喜びの礼拝へと建て直してくださるのである。

米子伝道所 主日礼拝説教<要 旨> 2012年10月14日  山本 清牧師 

 聖  書:エズラ記1:1−11
 説教題:「
神に心を動かされた者」         説教リストに戻る