王はその律法の書の言葉を聞くと、衣を裂いた。
                                   (列王記下 2211 

 列王記に記されている歴代の王の多くは、偶像礼拝に加担したので、「主の目に悪とされることを行った」とされているが、その中にあって、ヨシヤ王については「彼は主の目にかなう正しいことを行い、父祖ダビデの道をそのまま歩み、右にも左にもそれなかった」(222)と評価されている。それは、神殿の改修工事中に発見された律法の書の言葉を聞くと、標記のように「衣を裂いて」悔い改め、神殿から異教的な要素を取除いたり、国中から偶像礼拝を排除した(23420)ほか、長く忘れられていた過越祭を復活して(232123)、果敢に宗教改革を行ったからである。
 しかし、女預言者フルダは「神の怒りは燃え上がって消えることはない」(2217)と語り、列王記の記者も「主はユダに向かって燃え上がった激しい怒りの炎を収めようとなさらなかった(2326)と記す。そして、ヨシヤ王は敢え無く戦死し、南王国ユダは滅ぼされ、バビロン捕囚に至る。
 ヨシヤは徹底的な改革を行ったかに見えるのに、なぜ神の怒りの火は消えなかったのか。それは、人間が行う改革には限界があるということを示している。私たちも、自分の歩みを反省し、生き方の転換を行ったり、信仰生活や教会のあり方の改革に取り組むことがある。しかし、その場合でも、弁解や正しさの主張だけがあって、御言葉に対する不従順や頑なさに気付かないことが多い。改革は私たちの精進努力や表向きの信仰生活の改善だけで出来るものではない。私たちは徹底的に罪深いのである。
 では、私たちも、ユダ王国のように、滅ぼされるしかないのだろうか。否。神はダビデに約束された「とこしえの王座」のことを忘れられたわけではなかった。神の救いの歴史は、王国の滅亡で終わることなく、やがて、人には出来ない改革を、イエス・キリストの十字架の血によって成就して下さったのである。主イエスの十字架の上の罪状書きには「ユダヤ人の王」と書かれていた。こうして、神は救いの王国を再建して下さったのである。私たちが、この主に信頼して、わが身を委ねることによって、私たちには思いも及ばない改革を神様が行って下さるのである。

米子伝道所 主日礼拝説教<要 旨> 2012年9月30日  山本 清牧師 

 聖  書:列王記下22:1−20
 説教題:「
御言葉の発見」         説教リストに戻る