すると、主の火が降って、焼き尽くす献げ物と薪、石、塵を焼き、溝にあった水をなめ尽くした。これを見たすべての民はひれ伏し、「主こそ神です。主こそ神です」と言った。   (列王記上183839 

 北王国イスラエルの王アハブはシドン人のイゼベルを妻に迎え、バアルの神殿を建てた。そうした状況下で預言者エリヤはアハブ王に、「主は生きておられる。わたしが告げるまで、数年の間、露も降りず、雨も降らないであろう」と語った(1712)。これは、生きて働かれる神の審きとして干ばつが起こることを告げたのだ。このためエリヤは迫害を受け、逃亡生活を強いられる。主はヨルダンの東の川のほとりに身を隠すよう命じられ、そこで烏にパンと肉を朝と夕に運ばせられた。その川も涸れると、サレプタの貧しいやもめのところに行くよう命じられ、そこで「壷の粉は尽きることなく、瓶の油はなくならない」(1714)という体験をさせられる。また、やもめの息子が病死したが、エリヤが真剣な祈りを捧げると、命を元に戻された。このような逃亡生活を通して、エリヤは神が生きて働いておられるとの確信を深めることが出来た。
 三年目にエリヤはアハブ王の前に出て、一つの提案をする。それは、カルメル山にイスラエルのすべての民と、バアルの預言者450人・アシュラの預言者400人を集め、二頭の雄羊を薪の上に用意して、バアルの預言者たちとエリヤが互いに神の名を呼んで、火がついた方が真の神である、という提案である。バアルの預言者たちは朝から昼過ぎまで大声でバアルを呼び続けたが、何の反応もない。一方、エリヤが祭壇を築き、周囲の溝に水を流し、雄羊にも水をかけて、神への信頼をこめて祈ると、標記のように主の火が降って、献げ物などをなめ尽くした。これを見てイスラエルの民は、「主こそ神です」と告白するに至る。
 ところが、このことを聞いたイゼベルは激怒して、エリヤを殺害しようとする。エリヤは荒れ野に逃げ、絶望のあまり、「主よ、わたしの命を取ってください」とまで願うが、神は「起きて、食べよ」とパン菓子と水を用意される。(1836)四十日四十夜歩き続けて神の山ホレブに着くと、そこで主が通り過ぎられ、風と地震と火が起こった。だが、主は風や地震や火の中にはおられず、静かにささやく声が聞こえた。(19812)エリヤはイスラエルの民が皆神を捨て、自分一人だけ残ったことを嘆くと、主は、「行け、来た道を引き返してダマスコの荒れ野に向かえ」と命じられ、「イスラエルに七千人を残す」と約束されたのである。(191418
 私たちも、苦難の中で孤独を味わうことがある。しかし、その中でこそ神が生きて働いておられることを体験させて下さるだけでなく、主を証しする者として用いて下さるのである。

米子伝道所 主日礼拝説教<要 旨> 2012年9月9日  山本 清牧師 

 聖  書:列王記上18:30−39
 説教題:「
主こそ神です」         説教リストに戻る