主は仰せになった。「あなたがこのようにふるまい、わたしがあなたに授けた契約と掟を守らなかったゆえに、わたしはあなたから王国を裂いて取り上げ、あなたの家臣に渡す。」   (列王記上1111 

 ソロモンは若くして王位を与えられた時、神に「聞き分ける心をお与えください」と願って、「知恵に満ちた賢明な心を与える」と約束された。しかし、ソロモンは周辺諸国との良好な関係を築くための知恵として、諸国から王妃や側室を迎えたために、彼女たちに心を迷わされ、異教の神々を礼拝する場所を築いたりして、標記のように、神から授かった契約と掟を守らなかった。モーセは、知恵をもって民の訴えを裁き、諸国との交易を拡大して繁栄をもたらせ、神殿の造営も行ったが、肝心のところで、主の御心を聞き分けることに失敗して、王国の分裂を招いたのである。
 異教社会に住む私たちも、結婚生活や地域生活の中で、異教的なものに接触せざるを得ず、心が迷わされ、優柔不断に陥って、御心を聞き分ける心を失ってしまうことがある。
 神はソロモンに二度も現れて、他の神々に従ってはならないと戒められたように、私たちにも忍耐をもって語りかけ、悔い改めの機会を備えてくださる。だが、それでも聞き分けられない時は、裁きが告げられる。このことを、厳粛に受け止める必要がある。
 ただし神は、ソロモンに対する厳しい言葉の中でも、「ダビデのゆえに」裁きを遅らせ、軽減すると述べられている(1213節)。裁きを免れることは出来ないのだが、神はかつてダビデに対して、「あなたの王国は、とこしえに続く」と約束されたことを決して破られることはなく、イスラエルの民に対する愛は一貫して変わることがない。神はやがて、ダビデ、ソロモンの子孫に救い主イエス・キリストを生まれさせ、十字架の御業をもって、イスラエルの民のみならず、異邦人も含むすべての民の罪の償いを行われた。神の愛は、人間の罪によっても妨げられることなく続くのである。私たちも、その神の愛と約束によって守られているのである。私たちは、御心を聞き分ける心を、自分の力や信仰心で持ち続けることは出来ないが、たとえ私たちが過った道に進んだとしても、礼拝において御言葉に耳を傾けつつ、聖霊の導きを祈り続けることによって、御許に引き戻して下さるに違いない。

米子伝道所 主日礼拝説教<要 旨> 2012年8月26日  山本 清牧師 

 聖  書:列王記上11:1−13
 説教題:「
心の迷い」         説教リストに戻る