「どうか、あなたの民を正しく裁き、善と悪を判断することができるように、この僕に聞き分ける心をお与えください。」(列王記上39

 イスラエルの初代の王ダビデを継いで、ソロモンが若くして王位に就いた。反対勢力は押えたものの、まだ知識や経験も乏しい中で大きな使命を与えられて、民を正しく裁くことができるかどうか、不安を隠せなかった。ソロモンがギブオンの丘の上の幕屋で犠牲の献げ物をささげた夜、主が夢枕に立って、「何事でも願うがよい。あなたに与えよう」と言われた。これに対してソロモンは、主が豊かな慈しみをお示しになったことを述べたあと、標記のように、「聞き分ける心」を求めた。これは、多くの民の訴えをよく聞き分けて、公正に裁くことの出来る知恵を求めたという意味と共に、神の御心を聞き分ける心を求めたという意味が含まれている。
 私たちも、様々な課題や困難に立ち向かわねばならず、不安の中にある時に、私たちはどうしても自分中心になって、自分に不利益が及ばず、名誉が損なわれないようにとの観点から判断をしてしまいがちであるが、求めるべきは、主の御心を「聞き分ける心」なのである。
 ソロモンの答えを喜ばれた主は、「知恵に満ちた賢明な心を与える」と約束された上に、ソロモンが求めなかった富や栄光や長寿までも恵もうと言われた。現にソロモンは、人々に感銘を与えるような裁きを行ったのであるが、それは、主に対する絶大な信頼と、御心を聞き分ける心が与えられたからである。
 しかし、ここで私たちが、ソロモンの知恵に驚き、その栄光を讃えているだけでは、主の御声を聞き分けたことにならない。主イエスは、律法学者とファリサイ派の人々が「しるしを見せてください」と迫ったときに、「ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられていない」と言われ、「ここにヨナにまさるものがある」(マタイ1241)と述べられた。更に、南の国の女王シェバがソロモンの知恵に深く感動したことを取り上げながら、「ここに、ソロモンにまさるものがある」(同、1242)と言明された。つまり、十字架の後、三日目に甦られた主イエスこそ、ヨナにまさるお方であり、この主イエスの十字架による罪の赦しこそ、神の深い知恵であることを聞き分けなければならない。

米子伝道所 主日礼拝説教<要 旨> 2012年8月19日  山本 清牧師 

 聖  書:列王記上3:1−28
 説教題:「
聞き分ける心」         説教リストに戻る