「その男はあなただ。・・・なぜ主の言葉を侮り、わたしの意に背くことをしたのか。あなたはヘト人ウリヤを剣にかけ、その妻を奪って自分の妻とした。ウリヤをアンモン人の剣で殺したのはあなただ。」
                              (サムエル記下1279
 ダビデが王になって十数年の間に、次々と戦いに勝利して、自信に満ちていた頃、イスラエルの全軍を送り出してアンモン人と戦っていたが、ダビデはエルサレムに留まって指揮に当たっていた。そんなある日の夕暮れ、ダビデ王が王宮の屋上を散歩していて、一人の女が水浴びしているのが目に留まった。ダビデはその美しさに惹かれて、戦場で戦っている部下ウリヤの妻バト・シェバだと知りながら、自分のもとに連れて来させ、床を共にした。その上、翌朝、ダビデは司令官のヨアブに手紙を書いて、ウリヤを最前線に送って戦死させるよう命じた。そしてダビデは何食わぬ顔で彼女を妻に迎えたのである。ダビデは姦淫の罪を犯した上、殺人の罪まで犯したのである。これは単に律法に違反したというだけではなく、神が結ばれた人間関係を壊し、神が造られた命を人間が勝手に奪うことであり、神を侮り、神の顔に泥を塗ることであって、神に対して罪を犯したことになる。このダビデの罪を神が見過ごされる筈はない。
 神がダビデのもとに遣わされた預言者ナタンは一つの譬えを話す。豊かな男が客をもてなすのに、自分の羊や牛を惜しんで、貧しい男のたった一匹しかない小羊を取り上げたという話である。これを聞いたダビデは激怒して、「そんなことをした男は死罪だ」と言う。するとナタンは標記のように「その男はあなただ」と言い放つ。こうして、やっと自分の罪に気づかされたダビデは「わたしは主に罪を犯した」と言って、悔い改めた。するとナタンは「主があなたの罪を取り除かれる」と言ったが、「こんなことをして主を甚だしく軽んじたのだから、生まれてくるあなたの子は必ず死ぬ」とも告げる。ダビデは必死に祈ったが、七日目にその子は死ぬ。罪のない子が死ななければならないのは不条理に思えるが、罪の結果は誰かが償わなければならない。私たちが犯した罪も、誰かが償いをしなければ赦されることはない。神は、私たちの罪の償いをするために、罪のない御子イエス・キリストを十字架に架けられた。ダビデの子の死は、ダビデの子孫に生まれたイエス・キリストの死を指し示している。誰も、このキリストの愛からわたしたちを引き離すことはできない(ロマ831-35)。

米子伝道所 主日礼拝説教<要 旨> 2012年8月12日  山本 清牧師 

 聖  書:サムエル記下12:1−15a
 説教題:「
罪の本質」         説教リストに戻る