「あなたの家、あなたの王国は、あなたの行く手にとこしえに続き、あなたの王国はとこしえに堅く据えられる。」(サムエル記下716 

 サウル王の死後、全イスラエルの王となったダビデは、立派な王宮に住むようになっていたが、十戒を入れた神の箱が出エジプト以来、天幕を張った中に置いたままになっていることに気づいて、これまでの神の導きと守りに対する感謝を込めて、神殿を建設しようと思い立った。そのことを預言者ナタンに話すと、賛成してくれたのだが、その夜、神がナタンを通してダビデに告げられた言葉は、「あなたがわたしのために住むべき家を建てようというのか。わたしのために家を建ててくれなどと言ったことはない」というものであった。ダビデの思いのどこに間違いがあるのか。それは、神の大きな恵みに応えて自分でお返しができると考えたところにある。私たちが教会を建て、礼拝する群れを形成しようとする場合も同様である。神の恵みに応えたいとの思いは大切だが、神の恵みは私たちの力で恩返しができるほど小さなものではない。また、ダビデのもう一つの間違いは、神の居場所を一箇所に限定してしまおうとしたことにもある。私たちが神の居場所や働きの場所を定めることはできないのである。
 一方、神はダビデに対して、標記のように、ダビデ王朝の永続性を約束された。これは、単にダビデ王家を優遇するということではなく、神の救いの御計画を実現するための特別な群れを形成するということである。その約束の中で神は、「ダビデが過ちを犯すときは人の手によって懲らしめを受けるが、わたしは慈しみを彼から取り去りはしない」と言われた。罪を犯した場合に、懲らしめを与えるだけではなく、赦すことまで計画しておられたのだ。
 この後、ダビデは大きな罪を犯し、統一王国は分裂し、やがて大国によって滅ぼされて、王国は途絶えることになる。だが、神の約束は、数百年後に違った形で実現することになる。それは、ダビデの子孫として生まれたイエス・キリストによって新しい救いの王国、即ち教会として実現するのである。まさに、人間の力や熱心によってではなく、神が御子の十字架の赦しによって、誰によっても破壊されることのない神殿、即ち本当の礼拝を建て直されたのである。「主御自身が建ててくださるのでなければ、家を建てる人の労苦はむなしい。」(詩編1271

米子伝道所 主日礼拝説教<要 旨> 2012年8月5日  山本 清牧師 

 聖  書:サムエル記下7:1−17
 説教題:「
主が家を建てる」         説教リストに戻る