「獅子の手、熊の手からわたしを守ってくださった主は、あのペリシテ人の手からも、わたしを守ってくださるにちがいありません。」
                              (サムエル記上 1737 

 イスラエル軍とペリシテ軍が谷を挟んで対峙していた時、ペリシテ側から、双方の代表を出して一騎打ちしようとの申し出があった。敵の代表は大男のゴリアトである。それに対してイスラエル軍は恐れおののくのみであった。この戦いの物語には、私たちの人生の戦いに関して聞くべき重要なことが含まれている。
(1)敵の挑発を受けて、イスラエル兵が恐れていた時、少年ダビデは、「生ける神の勝利に挑戦するとは、あの無割礼のペリシテ人は一体何者ですか」と言う。神が味方であるイスラエルに挑戦しても勝ち目がないではないかと思っているのである。イスラエルにとっての本当の敵はゴリアトではなくて、神の存在を忘れている自分たちの中にある罪である。人生の戦いにおいても、本当の敵は自らの中にある罪であって、これと正面から向き合うことこそ、人生の戦いの第一歩なのである。
(2)ダビデは「あの男のことで、だれも気を落としてはなりません」と言って、自分がゴリアトと戦うことを申し出た。サウル王は「お前のような少年には、あの男と戦うことはできない」と言ったが、ダビデは羊飼いとしての体験をもとに、標記のように述べる。彼は少年ながら、父の羊を守るために命がけの戦いをしてきた。自分のためではなく、他のために戦うところにダビデの強さの秘密がある。私たちの人生の戦いも、自分の利益のためではなく、他人のための戦いとなっているかどうかを点検する必要がある。羊飼いの戦いには神の大きな祝福が待っている。
(3)サウル王はダビデに自分の装束と武器を渡したが、ダビデは、そんなものは慣れていないと言って、羊飼いの杖と川から拾った滑らかな石5つと石投げ紐を手にして、ゴリアトに立ち向かった。ゴリアトはダビデの武器を馬鹿にしたが、ダビデは「万軍の名によって立ち向かう」と言う。ダビデの武器は「神の名」であり、神を信じる信仰が武器だったのだ。人生の戦いは主の戦いなのである。イエス・キリストが十字架において罪と戦って勝利して下さった。だから罪と戦う私たちの人生の戦いには勝利が約束されているのである。

米子伝道所 主日礼拝説教<要 旨> 2012年7月29日  山本 清牧師 

 聖  書:サムエル記上17:31−40
 説教題:「
主が守ってくださる」         説教リストに戻る