「主があなたに油を注ぎ、御自分の嗣業の民の指導者とされたのです。」                                  (サムエル記上101 

 イスラエルの民が周辺の国々と同じように王を立てることを祭司サムエルに要求した。それは神を信頼しない不信仰から来ることであったが、神はそれを容認なさって、サウルを指導者()に選ばれた。その経緯が9〜10章に記されているが、そこには、私たちに対する神の選び(召し)について聴くべきことが示されている。
(1)サウルは父の大切にしていたロバが姿を消したので探しに出かけ、山を越え地を巡る不毛の旅を続ける中で、供の若者が、先見者サムエルを訪ねてはどうかと提案。行ってみると、既に神がサムエルにイスラエルの指導者となるべき人がやって来るので、油を注げ(任命の儀式を行うこと)と告げておられた。神は私たちが探し求めているものを遥かに越えたものを備えていて下さることを、この出来事は示している。(9120)
(2)サウルは、このような神の選びに対して逃げ腰で、「わたしはイスラエルで最も小さな部族ベニヤミンでも最小の一族の者です」(921)と言った。また、サムエルが神の御心を確認するためくじを行うとサウルが選出されたが、その時サウルは荷物の間に隠れていた。このように、私たちは神の招きを煩わしく思ったり、恐れを感じて逃げ腰になるのだが、神はそんな私たちを探し出して、大きな使命を与えられるのである。
(3)油を注がれたサウルに主の霊が激しく降り、預言する状態になった(10610)。それは神の力が働いて、御心に沿って言葉を語ったり行動することが出来る状態になったことを意味する。神が私たちをキリスト者として選び、使命を与えられるとき、神は私たちが元から与えられている能力や資質を用いられるだけではなくて、必ず霊の力を注いで、御心に従って用いて下さるのである。
(4)サウルに主の霊が降ると、サムエルは「神があなたと共におられるのです」(107)と告げた。イスラエルの民が王を要求するという誤った選択をしたにもかかわらず、神は指導者(王)を選び、彼と共におられて、その後襲ってくる苦難や悲劇の中でも、それらを彼と共に担って下さるのである。そして、最終的には、神の独り子イエス・キリストを私たちの罪の問題の解決のために遣わして下さるほどに、私たちの重荷を共に担って下さるのである。 

米子伝道所 主日礼拝説教<要 旨> 2012年7月8日  山本 清牧師 

 聖  書:サムエル記上10:1−27
 説教題:「
主が選んだ人」         説教リストに戻る