「今こそ、ほかのすべての国々のように、我々のために裁きを行う王を立ててください。」・・・・・「今は彼らの声に従いなさい。ただし、彼らにはっきり警告し、彼らの上に君臨する王の権能を教えておきなさい。」                    (サムエル記上859

 イスラエルの民の指導者として祭司や士師や預言者が立てられることはあったが、唯一の真の神の守りと導きの下にあったので、王を立てる必要がなかった。しかし、祭司サムエルの二人の息子たちが不正を行ったのがきっかけで、民の長老たちは標記(前半)のように、サムエルに王を立てるよう申し入れた。その背景には、ペリシテ人など周辺民族の脅威があったが、その裏には、神を信頼しない不信仰がある。
 私たちも、現代の厳しい競争社会に生きて行くために、頼り甲斐のある力――経済力、技術力、政治力、武力などを求める。それらが無用だというのではないが、そこに人生の拠り所を求めて、神を信頼しないところに誤りがある。
 サムエルは長老たちの申し入れを受けて神に祈ると、神は王というものがどのように民を搾取するかを具体的に述べて、警告を与えられた。
 ところが神は、警告を与えられた上で、「彼らの声に従い、王を立てなさい」と命じられたのだ。なぜ、不信仰から来る彼らの誤った求めを容認されたのか。主イエスは放蕩息子の譬えで、弟息子が父の財産の分け前を要求したとき、それを拒まない父親を描かれた。神は私たちの愚かな選択を容認されることがある。それは、私たちが挫折を通して自分の愚かさに気づくためである。
 とは言え、父なる神は、私たちの愚かな選択の結果を自業自得だとして放置されるわけではない。神は、過ちを繰り返すイスラエルの民の不従順の真只中に、独り子イエス・キリストを遣わして、彼らが主イエスを十字架に架けることを容認されることを通して、罪からの救いの御業を成し給うた。神は、その愛と真実をもって、真の王であり続けられるのである。私たちも、大きな困難に遭遇して自らの弱さを知ると、力を持っていて頼り甲斐があるように見えるこの世の「王」に頼ろうとする。だが、イエス・キリストをお遣わしになり、十字架の救いを実現して下さった見えない神こそ、私たちの真の王なのである。

米子伝道所 主日礼拝説教<要 旨> 2012年7月1日  山本 清牧師 

 聖  書:サムエル記上8:1−22
 説教題:「神こそ真
(まこと)の王」         説教リストに戻る