サムエルは答えた。「どうぞお話しください。僕は聞いております。」………サムエルは成長していった。主は彼と共におられ、その言葉は一つたりとも地に落ちることはなかった。(サムエル記上3:1019

 イスラエルは「祭司の王国」(出エジプト196)とされ、民全体が世界に対して、神と人との間を執り成す祭司の役割を果すこととされていた。だが、祭司エリの時代、その二人の息子たちは、神殿に献げられる犠牲の肉を先取りしたり、神殿に仕える女たちと床を共にして、礼拝が軽んじられていたため、「主の言葉が臨むこと少なく、幻が示されることもまれ」(31)という状態に陥っていた。
 だが神はそのような状態を見捨て給わない。エルカナの妻ハンナは授かった子を神に献げると誓い、生まれたサムエルを祭司エリに預けた。ある日、エリの息子たちに代わってサムエルが神の箱が安置された主の神殿で寝ていると、主が呼ばれた。エリに呼ばれたと思って、エリのところに行くが、エリは「呼んでいない」と言う。同じことが三度あったとき、エリは主が呼ばれたことに気づき、サムエルに標記のように答えるよう教えた。こうして、四度目に呼ばれたサムエルは主の言葉を聞くことになった。
 だが、その内容はエリの家の罪に対する厳しい裁きを告げるものであった。サムエルはそれをエリに伝えることを恐れたが、エリに「隠してはいけない」と言われ、一部始終を話した。こうして、主の言葉が再び語られるようになったのである。
 サムエルが神殿に寝ていた時、「まだ神のともし火は消えておらず」(33)と記されている。その直接の意味は、まだ夜が明けておらず、神殿のともし火が点されていたことを示すが、それは、イスラエルを覆う闇の深さを暗示すると同時に、そのような暗い状況の中でも、希望の火は消えていないことをも示している。やがて神はイスラエルに、神の言である主イエスを遣わされることとなる。
 今の世界と「聖なる祭司」(TペトロT:5)としての教会にも、暗い闇が覆っており、御言葉が臨むことが少なくなっているように思える。だが神は主の再臨の夜明けまで、御言葉のともし火を消されることはないのである。「夜が明け、明けの明星があなたがたの心の中に昇るまで、暗い所に輝くともし火として、どうかこの預言の言葉に留意してください。」(Uペトロ119 

米子伝道所 主日礼拝説教<要 旨> 2012年6月24日  山本 清牧師 

 聖  書:サムエル記上3:1−21
 説教題:「ともし火は消えず」
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